コラム―豊岡新田、豊久新田、満穂新田笹木野(ささぎの)、住吉新田の干拓には京都、大阪商人の援助による開発でしたが、阿波(あわ)の商人も意地を見せます。 藍(あい)商人であった 板東茂兵衛(ばんどうもへい)が始めた豊岡新田は、わずか7ヶ月で石垣の堤防を築き、堤防の補強と高潮被害防止のために、約20万本の松を植えました。その後息子の喜右衛門(きえもん)、孫の豊岡茘敦(とよおかれんとん)へと引き継がれ、見事な農地を生み出しました。 その後、豊久新田、満穂新田へとつながる事業は、同じ阿波の商人、阿部豊吉と後藤善右衛門らの努力によって(1820年)完成しています。 |
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