岡山県岡山市
交流会の概要
開催日
|
平成15年8月21日(木曜日) |
---|---|
主催
|
中国四国農政局 |
開催場所
|
岡山県岡山市 岡山コンベンションセンター(ママカリフォーラム) 3F会議室B |
語り部等参加者数
|
平野啓子氏(コーディネーター)他7人(うち土地改良関係者 2人) |
傍聴者数
|
20人(主な職種:教育関係) |
![]() |
![]() |
語り部交流会の様子
|
農業用水路の西川緑道公園
(岡山市)の説明の様子
|
語り部の概要
氏名 | 語りの概要 |
活動実績等
(職業、職歴)
|
---|---|---|
飯田純子 | 旭町垪和地区に住んでいた鬼の話で、空の星を取ろうと、四苦八苦するといった子供向けの民話「あまんじゃくの星とり」を語られた。 あまんじゃくという鬼が、地区で一番高い山の頂上に谷底にあった大きな石をたくさん担ぎ上げて、石の塔を造って、そのてっぺんからほうきで星を取ろうと四苦八苦するが、石の塔とともに崩れ落ち、谷底まで転がったというお話。 ちょっと乗っかって高いものを取ろうとすると、自分の方が落っこちてしまう場合があるので、子供たちも気をつけるようにとの意味も含まれている。 |
旭町民話村においてボランティアで子供たちに紙芝居を使って読み聞かせをしている。(主婦) |
古林弘治 | 父は娘の言葉で人柱になってしまったという民話を語られた。 ある村の橋は、川が増水すれば何度も流されてしまうため、工事が進められていた。ここに僧侶が通りかかり、「年齢が42で、ももひきのつめの頭へ茶色い布で継ぎをした者が人柱にならないとまた流される」と役人へ言い残して行った。 役人は、人柱にする男を探すこととし、道端のある女の子へ尋ねたら、何もわからず正直に「これはお父さんだ」と答えたため、女の子の父親が人柱になってしまった。女の子は、父親が埋められる姿を一部始終見たため、一口も声を出さない子供になってしまった。 その後、女の子は、立派な娘に成長し、役人の息子のところへ嫁入りすることになったが、その時に、キジが鳴いて飛んできた。撃ち落とされたキジを前にして、娘は涙を流しながら「父は生きながらも人柱になった。キジも鳴かずば撃たれぬものを」と口を開いた。 |
失われゆく生活様式(民俗)とことば(方言)にこだわり、郷土に伝わる民話を語られる。 地域の歴史、文化、民話を基に劇を作り、地域活性化に取り組んでいる。(農業、湯原町文化財専門委員) |
柴口成浩 | 小田郡矢掛町は、旧山陽道18番目の宿場町として栄え、国の重要文化財として、今もなお本陣と脇本陣が勇姿を残し、年に一度の大名行列が行なわれている。 また、宿場の機能もさることながら、高梁川の高瀬舟の発着場であったので、荷物の往来の基地でもあった。 昔、矢掛に島津の殿様が宿泊した時、殿様の刀が紛失し、宿場中を探したが見あたらず、僧侶が、身代わりに刀を盗んだことを自供したため、火葬に処罰された。火葬から喉仏、指仏、足仏が出てきて、町の人たちが、それを埋葬して、お地蔵さんを建立した身代わり証人の墓の言い伝えを披露。 |
矢掛町観光協会会長して各種イベントに参加している。(大通寺住職・元高校教諭) |
高見茂 | 奈良時代の吉備真備と平安時代の菅原道真の人物比較を語られた。 吉備真備は、地方出身で独学で中国に渡り、様々な学問を勉強して右大臣まで上がった。一方、菅原道真は、学者の家系で育ち、右大臣に上がって間もなく、謀略にかかって太宰府に左遷され、亡くなるが、天満宮に祭られる。 自暴自棄にならず、はい上がって人生を全うした吉備真備の人物を高く評価したお話を語られた。 |
吉備真備の研究と顕彰、日中交流町民ミュージカルなどによる文化創造、万葉歌碑の建立などのまちづくりについて語られている。月2回の万葉講座、郷土史について執筆活動 (元真備町マービーふれあいセンター館長)
|
立石憲利 | 阿哲郡大佐町に伝わる「割亀井堰」にまつわる「人柱地蔵」を語られた。 「割亀井堰」は、大雨になったら根本から全部流されてしまう井堰のため、稲ができなく村民の暮らしは困窮していた。 村民は、明朝一番に井堰の前を通った者を人柱にするということを決めた。翌朝、一番に通りかかったのは修行僧で村の衆の頼みにより井堰の中に埋められてしまった。 「井堰が流されないように」と井堰の中から聞こえる法行者の鈴の音は、21日目に途絶えた。それ以降、「割亀井堰」は一度も流されたこともなく、今でも立派な井堰として残っている。 |
日本民話の会の一員として昔話の採録者、語り部として、岡山県を中心に全国各地で活躍されている。 約6千話を採録。出版物多数。(岡山民俗学会理事長) |
増田隆 | 児島湾干拓の100年の歴史を岡山弁を交えてユニークに語られた。 干拓地は、低平地で台風時には塩水による床下浸水、水稲は塩害に遭い、入植者は食料や飲み水の確保に苦労してきた。 干拓地の農家は、隣の家と数百メートル離れているが、これらの苦労もお互いに団結、励まし助け合った。 増田氏の小学生の時の日課が、薪の代わりとして小麦のわらを用いた風呂たきであるが、風呂の水を近くの用水路から汲み上げて沸かすので、メダカが風呂の中で腹を向けて浮いていたというユニークなお話である。 |
岡山市藤田の小中学校で講座 藤田地区地域振興推進協議会会長を務める。(農業、大曲町内会長) |
若林秀雄 | 「湛井十二箇郷用水」の歴史と役割について語られた。 820年前、妹尾太郎兼安は、高梁川に堰を造って、妹尾郷まで農業用水を導いたが、ある日、兼安は白い蛇が高梁川の速い流れを横切って対岸へ泳いでいくのを見て、その場所に湛井井堰を造った。 また、馬の背中へ火がついた薪をくくりつけ、馬がびっくりして、その火を消そうと足守川へ走って行った。その中の一番短い距離のところへ水路を掘っていったのが湛井十二箇郷用水と伝えれれている。 |
元岡山県職員で、37年間農業基盤整備に携わった。 小学校、中学校で先人たちの偉業と水の役割について次代を担う子孫に対して守り伝えている。(農業、元高梁川用水土地改良区理事) |
(職業等は開催当時のもの)
意見交換の概要(主な意見等)
- 文部科学省でなく農林水産省が『語り』を企画することに驚いている。
- 是非とも語りを記録するようなものを残して欲しい。今後も、語り部交流会のような活動を継続して欲しい。
- 今の子供たちはテレビばかりで語りを生で聞いたことがない。テレビと違って、声で聞く話は頭で物事を想像しないといけないので、一回話を聞くと子供たちはちゃんと覚える。
- 声で語って聞かせる語りを子供たちに広げていきたい。また、語り合うことをいろんな分野に広げたい。
お問合せ先
農村振興局設計課広報G
代表:03-3502-8111(内線5561)
ダイヤルイン:03-3595-6338