このページの本文へ移動

農林水産省

メニュー

affインタビュー 第26回

  • 印刷

山川 豊 さん

漁師を父に、海女を母にもち、伊良湖水道を望む鳥羽で育った歌手の山川豊さんに漁村の暮らしや食生活について聞きました。

海の恵みには捨てるものなど何もない。無駄にしなければ地域の活性化にも役立ちます。
山川 豊さん
山川 豊
やまかわ・ゆたか/1958年、三重県生まれ。1981年「函館本線」でデビュー。同年、レコード大賞新人賞他、14の新人賞を受賞する。以降、「放浪ごころ」「港酒場」「途中下車」「アメリカ橋」など、ときに溢れる旅情を、ときに男の色気をしっとりと歌いあげる実力派演歌歌手。兄は漁師演歌の最高峰、鳥羽一郎。1988年 ボクシングC級ライセンス取得。また社交ダンス・モダンはプロ並み。この7月にはゴールド級のメダルテスト

菅島灯台
夏の鳥羽湾
兄弟酒歌碑
兄弟揃って歌謡歌手として活躍し、全国に鳥羽市の名を広め、地域の発展に寄与したとして、鳥羽の海を望む展望台には兄・鳥羽一郎と山川豊をたたえる歌碑がある
海女さんが鳥羽の漁村を支えていた

若々しい長身の青年がするりと部屋に入ってきた。いや、もう青年という年齢ではないはずなのに、「ジャパニーズ・ダンディズムをギュッと凝縮したかのようなルックスが魅力」、そう評されているとおりの人だった。

いざお話しを始めると気さくな雰囲気を漂わせ、幼少を過ごした鳥羽での生活を語ってくれた。

「僕の育った村は半農半漁でした。おやじは漁師でしたが、海女だった母の稼ぎで生計を立てていたようなもの。アワビ、サザエを獲っていました。当時あの一帯には300人くらい海女さんがいたと思う。女の子が生まれたら赤飯を炊いたものです、海女として稼いでくれるから。両親は夫婦で船を出し、重石をつけて命綱をくくりつけた母が潜っている間、父は船上で命綱を見張っている。海中から合図がくると綱を手繰り寄せて、母を引き上げるのです」

今でこそ道路が整備され物流が発展したが、山川さんが子どもの頃は、陸続きとはいえリアス式海岸に点在する漁村は「陸の孤島」だったという。「海が荒れたら物資を輸送する船が来ない。ケーキなんて年に一度、クリスマスに食べられればいいほう。今の子どもたちは運動会や遠足の日にテルテル坊主をぶら下げるけど、僕たちは天気が崩れて、海が荒れないようにと、クリスマスにテルテル坊主をぶら下げたんですから」
厳しい自然環境下の海辺の暮らしがうかがえる話である。

自然の恵みで地域を活性化する試みを

では、子どもたちのおやつは、いったい何だったのだろう。
「アワビやサザエですよ。岩場にちょっと潜れば、いくらでも獲れたから。おなかがすいたらアワビを食べていましたね」

アワビがおやつだなんて贅沢な話だが、山川少年にしたらアワビよりよほどケーキのほうが高級品だったのだ。このあと山川さんは、水産資源の現状とこれからを示唆するようなことを口にした。

「昔はアワビを獲るにも大きさを図る木枠があって、それより小さなものは海に還していた。手当たり次第に獲ることはなかった。今はもうアワビやサザエも沿岸では獲れなくなり、海女さんたちは苦労しています。乱獲のせいか、温暖化のせいか分からないけど、生息域がもっと沖になってしまったようですよ」

「今、メカブは健康食品として人気でしょ。でも僕らが子どもの頃はメカブなんて捨てていた。もったいない話です。それを活用すれば、町おこしだってできたはず」

故郷の村も高齢化し、漁法や農法を伝承できる人が少なくなっているという。「だから、今のうちにそういうことを次の世代に伝えて、地域の活性化に役立つことを考えなければいけない」という。山川さんの故郷への思いが感じられる言葉だった。

山川さんはボクシングのC級ライセンス保持者であり、世界チャンピオンを目指すボクサーのトレーナーでもある。そして、社交ダンスもプロ級の腕を持つ。体力維持や健康には人一倍気を使っているはずだ。その辺りを伺うと「特にないけど」と前置きし、「おじが熊野でサンマ漁をしています。脂が身に回り切っていない新鮮なサンマを送ってくれるし、地元の友人から鮮魚や野菜が直送されます。家での普段の食事はもっぱら野菜と魚が中心です。日本型の食事がいいのかもしれませんね」

毎日、筋力アップのトレーニングは欠かさないというが、故郷の山海の幸が山川さんの健康を支えているのかもしれない。

霧雨のシアトル