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農林水産省

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affインタビュー CLOSE UP 仕事人 Vol.10

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映画監督
塩屋 俊(しおやとし)さん

大分県臼杵(うすき)市で茶の有機栽培に取り組む農家を舞台に、そこで繰り広げられる人間模様を描きながら、
農業の再生を問いかける映画『種まく旅人~みのりの茶~』を制作した、監督の塩屋俊さんにお話を聞きました。
塩屋 俊(しおやとし)さん

しおや・とし

しおや・とし
1956年に大分県臼杵市に生まれる。 慶応義塾大学在籍中にメソッド演技の演技理論に基づいたレッスンを受ける。以後、テレビや映画作品などへの出演を重ね、特に海外作品『アンボンで何が裁かれたか』AFI映画賞助演男優賞ノミネート、『Mr.Baseball』などの出演により、欧米の制作現場から多大な影響を受ける。1994年に世界基準を想定した演技学校を目指し、塩屋俊アクターズクリニックを設立(現在「アクターズクリニック」東京校/大阪校/2012年開校予定大分校)。2011年には米国演技学校の最高峰といわれ、ロバート・デ・ニーロを輩出したStella Adler Studio of Actingと提携し共同企画「HIKOBAE」を始動した。受講生の数は延べ1万人を超える。初企画映画は、当時の生徒を多数起用して制作した『バウンス ko GALS』(97/原田眞人監督)。主な監督作品に『6週間プライヴェートモーメント』(01)、『ビートキッズ』(05)、『0(ゼロ)からの風』(07)、『きみに届く声』(08)などがあり、前作『ふたたび~swing me again~』(10)で2011年、第28回山路ふみ子福祉賞受賞。

『種まく旅人~みのりの茶~』

『種まく旅人~みのりの茶~』
3月3日(土)大分・福岡先行ロードショーに引き続き、3月17日(土)より東京・有楽町スバル座ほか全国ロードショー
公式サイトhttp://www.tanemaku-movie.com

ロケハンのときに見つけた野津町田野地域の絶景スポットでの撮影中の様子。この映画のオープニングタイトルバックになった

ロケハンのときに見つけた野津町田野地域の絶景スポットでの撮影中の様子。この映画のオープニングタイトルバックになった

Photo:Koji Sugawara
東日本大震災がわれわれに突き付けた課題である
第1次産業の再生を必ずや手伝える作品だと思っています。

映画は社会を映す鏡
3月中旬から全国で上映が開始される映画の題材に、なぜ農業を選んだのかを、塩屋俊さんに聞いてみた。

「映画は社会を映す鏡ですから、社会の動きや時代の流れを常に意識しながら、単なるマネーメイキングではなく、時代に必要とされる映画を作らなければいけないという思いが、僕の中にあります。

戦後70年近くになりますが、欧米並みの経済大国を目指した日本では、特に工業化に重点が置かれ、それが第1次産業を疎(うと)んじるような結果を招いたのではないか。減反政策が進み、遊休農地も拡大し、農家が離農しなくてはならないような状況も発生したわけですが、それは国民も一緒になって工業化を推進してきた結果でもあるわけです。国の責任だと責めるのではなく、真摯(しんし)に見つめなくてはいけないことなので、そのことを映画の中で、教条的にならずに問いかけたかったのです」

作品のモデルは生まれ故郷の緑茶農家
『種まく旅人~みのりの茶~』には、身分を隠して全国各地の農家を回っている農林水産省の官房企画官が登場する。この「金(きん)ちゃん」こと大宮金次郎の存在が作品の重要な縦糸になっている。作品の舞台は塩屋さんの生まれ故郷である大分県臼杵市。塩屋さんは「50代半ばに差し掛かり、自分の発祥の源である大分県から話を掘り出してみようと思いました。ただし、大分県での農業の再生の形が、ほかの地域に当てはまるかというと、必ずしもそうではない。全国各地でその土地に応じた解答があるはずです」と言う。その思いが金次郎の行動に託されていた。

何を生産している農家をモデルにするか。大分県特産の農産物ではカボスやしいたけが有名だが、どうもしっくりこない。そこでジャンルにこだわらず、いろいろな農家の取材を重ねた。

「そのうちに、茶畑をこよなく愛する、村一番のとんでもない頑固じいさんがいたという話を聞きました。それが、難しいといわれる緑茶の有機栽培に挑んだ株式会社高橋製茶の先代、高橋英雄さんでした。初めは採算が取れないため、借金に借金を重ね、家族に迷惑をかけながらもやり続けた結果、ようやく上質で味の良い茶葉を収穫できて、これからだというときに、亡くなってしまったのです」

高橋製茶は、有機農産物認証取得大分県第1号の生産者となり、今は残された奥さんと長男が遺志を継ぎ、丹念に有機栽培の緑茶を生産しているそうだ。

第1次産業の再生こそ今、日本に必要なこと
「高橋さんの話を聞いたとき、設計士でもあり、施工もしていた自分の親父を思い出しました。職人だった親父と共通するアーティストの感覚、匠の心意気を感じたのです。僕はその匠の技を、子どもではなく、孫である世代が継いでいくという設定にしました。

高橋さんのような農業の匠が、日本にはたくさんいるのだろうと思います。こういった方たちが日本の農業をしっかりと受け継いできたのです。この方々がちゃんと生計を立てられ、なおかつこの方々の技術や知恵を次の世代にしっかり伝えて行くことの大切さが伝わる映画を作れたら、ステキだなと思いました」

この映画の撮影は東日本大震災の前に終わっていたという。震災の発生から1年という時期の封切にも、大きな意味がある。

「この作品の存在意義はさらに深まったと思っています。日本は第1次産業から再生しなくてはいけないことが明らかになりました。それをあの大震災がわれわれに突きつけたのです」

映画のワンシーン

映画のワンシーン

映画のワンシーン

撮影中の様子

撮影中の様子

撮影中の様子
写真提供:ゴー・シネマ