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農林水産省

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特集1 東日本大震災 復旧・復興に向けて(3)

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漁業の現場では (2)


大伸丸漁業生産組合代表理事組合長の三浦兼男さん。

大伸丸漁業生産組合代表理事組合長の三浦兼男さん。最新設備を搭載した新船で出航の時を待っている。自宅前の畑を仮設住宅地に提供したという。今そこには仲間の漁師16世帯が暮らしている

大伸丸漁業生産組合代表理事組合長の三浦兼男さん。
宮城県気仙沼市
漁師は魅力のある仕事
水産業の再生に欠かせない担い手の育成
津波によって所有していた漁船が被災し、農林水産省の共同利用漁船等復旧支援対策事業を活用して、新船を建造した宮城県気仙沼市の三浦兼男さんに話を聞きました。

沖に出る前に津波に呑まれて
平成24年1月20日、三浦兼男さんが組合長を務める大伸丸漁業生産組合の新しい船「第58大伸丸」の進水式が行われました。第58大伸丸は、潮目に刺し網を流してメカジキを獲る大目流し網漁船です。

三浦さんは銚子沖から北海道まで黒潮に乗ってメカジキ漁を営んできました。近海延縄漁でメカジキが獲れなくなる夏場、気仙沼漁港にメカジキを水揚げする役目を担っているのが、大目流し網漁船です。こうして気仙沼漁港では通年メカジキを出荷することができるのです。

何年もの間、三浦さんの漁獲を支えてきた「第38大伸丸」は、津波によって沈没してしまいました。チリ地震による津波を経験していた三浦さんは、東日本大震災のあと、すぐに漁船を沖に出そうと港に向かいました。エンジンをかけて沖に向かい始めたそのとき、大津波が襲いかかり、三浦さんは船もろとも波に翻弄されました。三浦さんが流れてきたがれきに飛び移った直後に、第38大伸丸は津波に呑まれたのでした。

船を失った後、三浦さんは農林水産省の補正予算によって、被災した漁船の復旧費用が補填されることを知り、申請することにしました。一定要件を満たすために漁業生産組合を設立し、本格的な再建に向けて動き始めたのです。

新たな船に託す思い
新たに建造された船は、失った第38大伸丸と同じ19トンの大目流し網漁船ですが、最新設備を備えています。まず船質素材をFRP(繊維強化プラスチック)からアルミ合金にし、乗組員のための個室にベッドを設けました。

「大目流し網漁の場合、1週間程度の航海ですが、大部屋で雑魚寝なんて、今の若い乗組員たちは嫌がるでしょ」と三浦さんは笑いました。トイレと浴室も設置したうえ、船上での衛生向上と安全な水産物の流通を図るために、滅菌海水装置も導入しました。

「気仙沼に限らず、漁業の担い手の育成は急務です。若い担い手が漁業を引っ張ってくれれば、復旧・復興も加速します。水産高校を出ても漁師になる生徒は多くありません。教育の現場で実際に漁の経験がある先生が、漁業の魅力や経験に基づく知恵や技術を伝えてくれればいいのだけど」

そう語った三浦さんの息子さんは後継者として、ともに船に乗り込んでいます。この日も漁具のメンテナンスに励んでいました。

かまいし水産振興企業組合理事長の三塚浩之さん。魚食文化と地元釜石のために日々奔走している

かまいし水産振興企業組合理事長の三塚浩之さん。魚食文化と地元釜石のために日々奔走している

かまいし水産振興企業組合理事長の三塚浩之さん
岩手県釜石市
生産者と消費者の架け橋として
顔が見える"魚屋"の復活をめざす
岩手県釜石市でキッチンカーによる移動販売を行いながら、地域の再興を目指している、かまいし水産振興企業組合理事長の三塚浩之さんを訪ねました。

漁業の町であることを思い出してほしかった
東日本大震災と津波により、岩手県釜石市でも多くの飲食店が被災しました。三塚浩之さんの店も被害を受けました。三塚さんは地元食材の消費拡大をコンセプトに、自ら立ち上げた「かまいし水産振興企業組合」の直営店として、平成20年春、魚料理を中心に提供する料理店「浜結(はまゆい)」をオープンしました。

店をオープンするまで三塚さんは、奥さんの実家の家業である鮮魚卸業を継ぎ、釜石市内だけでなく、隣接する遠野市などに顧客を持ち、安定した収益を得ていました。

「いつの間にか釜石市民が地元の魚に価値を見出さなくなったというか、魚食の大切さを忘れてしまったのではないかと感じるようになりました」

そう思ったことがきっかけで、三塚さんは仲間と一緒に、かまいし水産振興企業組合を立ち上げました。

「漁業の町の住民がその味を知らなくてどうするのか。生産者と消費者を結ぶ役割を担っている自分たちが、率先して地産地消を進めよう」

三塚さんがオープンさせた「浜結」では、釜石漁港で水揚げされた新鮮な魚をメインに日替わり定食を提供し、開店から3年間で、実に600種類の魚定食のメニューを作り上げたのです。加えて、産地や生産者名の開示に努め、店を利用する客に魚食の魅力を発信し続けていました。

復旧・復興への第一歩はキッチンカープロジェクト
津波はそんな三塚さんから、魚を仕入れる市場も軌道に乗った店も、そして自宅をも奪い去っていきました。スピード感のある再開の手立てを思案した結果、思い付いたのがキッチンカーによる移動販売でした。三塚さんは、知人が勤めるプラットフォームサービス株式会社(東京都千代田区の地域特性を活かした「SOHO(Small Office Home Office)まちづくり」を推進する「ちよだプラットフォームスクウェア」の運営会社)の賛同を得て、釜石復興支援プロジェクトの一環として「かまいしキッチンカープロジェクト」を立ち上げたのです。

東京でキッチンカーの利用研修を受けた後、6月下旬には自分のキッチンカーを本格稼働させました。店名は平仮名で「はまゆい」。食材の調達には苦労しているそうですが、釜石の人たちに元気を届けるために奮闘する毎日です。

三塚さんが5月から準備を進めていた「東日本経済活性化支援機構」が、11月にNPO法人として正式に認可されました。三塚さんは東北地方の復旧・復興を「まちづくり」と「水産」という視点から考えていきたいと語ってくれました。また、年が明けた1月11日には、キッチンカーと屋台を合体させた「キッチンカー屋台村」をオープンさせました。三塚さんの挑戦はまだ続きそうです。

釜石復興支援プロジェクト http://www.kamaishien.com/