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農林水産省

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特集1 東日本大震災 復旧・復興に向けて(5)

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林業の現場では




壁が壊れたが構造体はしっかりと残り、木造建築の強さを改めて知った

壁が壊れたが構造体はしっかりと残り、木造建築の強さを改めて知った

壁が壊れたが構造体はしっかりと残り、木造建築の強さを改めて知った

壁が壊れたが構造体はしっかりと残り、木造建築の強さを改めて知った

壁が壊れたが構造体はしっかりと残り、木造建築の強さを改めて知った

手あわせ桜プロジェクトの植樹記念碑。桜の苗木は長野県戸隠大山桜の会から提供された

手あわせ桜プロジェクトの植樹記念碑。桜の苗木は長野県戸隠大山桜の会から提供された
宮城県石巻市
復旧・復興に向けた新築住宅の資材としても重要な木材
安定供給するために早期再開を果たす
木材加工工場の多くが沿岸部に立地していたため、津波によって甚大な被害を受けました。

合板メーカーの被災と復興状況
東日本大震災によって、宮城県石巻市、岩手県宮古市、同大船渡市で操業していた合板メーカー6社が被災しました。この6社で全国の合板の約3割を生産していました。合板の安定供給のためにも早期再開が望まれています。本誌平成23年7月号で取り上げた大手合板会社のホクヨープライウッド株式会社でも、宮古工場の生産ラインの一部が7月から稼働を再開しました。

宮城県石巻市にあるセイホク株式会社では社内に復興対策本部を設置し、復旧作業に取り組みました。同社は平成23年7月上旬に生産ラインを復旧させ、同月下旬には針葉樹を材料とする建物の骨組み用合板(構造材)の出荷を再開しています。その他の被災した合板メーカーも、遅くとも9月下旬には出荷を再開しました。

また、セイホクでは同社が有する木質バイオマス発電所で被災地から出た木材がれきを受け入れ、がれきの処理に貢献しました。

被災して知った木造構造体の強さ
一方、沿岸部にあった製材メーカーもその多くが被災しました。そのうちの1社、宮城県石巻市の株式会社山大(やまだい)を訪ねました。

山大は石巻港に面した広大な敷地にウッド・ミル(製材工場)を有する製材メーカーです。植林事業と並行して、木材の地産地消にも力を注いできました。樹齢約50~70年の「A材」と呼ばれる立派な杉の丸太が並ぶ山大のウッド・ミル。津波ですべての丸太や木材が流失しました。山大の専務取締役である高橋武一(ぶいち)さんに話を聞きました。

「東日本大震災では10mもの津波が襲い、海からわずか数十mに位置するうちの本社、製材工場などすべてがのみ込まれました。原木も製材機械も流され、大切な従業員も2名が犠牲となりました。

津波の翌日、製材工場に行ってみると、80トンもある乾燥窯が何基も流されてなくなっている中、木造の建屋だけは残っていたのです。鉄骨の建物は折れ曲がり、原形を留めていないのに、木造建屋の構造体は何ともありませんでした。壁は壊れましたが、最も海側の建屋は残り、そのおかげでメインの製材機械の流失は免れました。津波によって、木造の建造物の強さを改めて知りました」

林業家としての使命を全うしたい
高橋さんは、木の構造体を無残にさらけ出しながらも、流されずに雄々しく立つ建屋を見て、とにかく1日でも早く生産を再開しようと心に決め、すぐに海に流された自社原木や製材の回収に着手しました。それからは不眠不休の日々だったといいます。また、ボランティアを組織し、地域のヘドロの片付けにも力を注ぎました。

また、仲間とともに鎮魂と復興を祈る「手あわせ桜プロジェクト」を立ち上げ、桜の植樹活動を支えています。これは、政府の復興構想7原則のひとつに「失われたおびただしい『いのち』への追悼と鎮魂こそ、私たち生き残った者にとって復興の起点である(後略)」と記述されていることを受けて、林業家らしい発想と桜を愛する日本人の心を尊重して始めた活動です。高橋さんは、津波による塩害で枯れた樹木の代わりに、東北地方の犠牲者の数だけ桜を植えることで、鎮魂の桜の森づくりを進めていきたいと語ってくれました。

鉄骨は無惨にも折れ曲がってしまった。現在は復旧し、見事な原木が次々と製材されていく 鉄骨は無惨にも折れ曲がってしまった。現在は復旧し、見事な原木が次々と製材されていく

鉄骨は無惨にも折れ曲がってしまった。現在は復旧し、見事な原木が次々と製材されていく

乾燥機が流され被害が大きかったが、現在は完全に復旧している 乾燥機が流され被害が大きかったが、現在は完全に復旧している

乾燥機が流され被害が大きかったが、現在は完全に復旧している
被災時の写真提供:株式会社山大


※平成23年7月号「東日本大震災 被災地の復旧・復興に向けて」 http://www.maff.go.jp/j/pr/aff/1107/mf_news_00.html

鎮魂と復興を祈る桜の植樹「手あわせ桜プロジェクト」 http://en.sizentai.net/

「このポールの高さが津波の高さです」と説明する復興屋台村事務局長の小野寺雄志さん

「このポールの高さが津波の高さです」と説明する復興屋台村事務局長の小野寺雄志さん

応援しよう、被災地の復興ブランド!
その1
食べて応援:復興屋台村
東日本大震災では食を提供する多くの飲食店も被災し、営業拠点を失いました。すぐに店を再建できずにいる店主のために、そして地域の絆のために各地で復興屋台村がオープンしています。

宮城県気仙沼市では、平成23年11月26日に復興屋台村「気仙沼横丁」がオープンし、市内で営業していたさまざまな飲食店15店舗と物販6店舗が営業し始めました。事務局長を務める小野寺雄志さんは家も職場も被災し、今は港から10km離れた仮設住宅で生活しています。小野寺さんは「とにかく気仙沼の復興のために、食べて元気を分け合えるように、この屋台村にはそんな願いが込められています」と話してくれました。

被災地に足を運んだときには、ぜひ復興屋台村を訪ねてみてください。

復興村入り口

復興屋台村入り口





Photo:Keiko Yoshioka
その2
買って応援:新たな復興ブランド品
陸前高田市の有限会社アグリランド高田では、促成栽培したイチゴを「復興イチゴ」と名づけ、陸前高田市の農業復興のシンボルとして出荷しました。

「復興イチゴ」は、岩手県農業研究センターと東日本機電開発株式会社が共同で開発した促成イチゴの高設栽培技術を活用して栽培されました。同センターでは震災復旧・復興支援プロジェクトの一貫として、被災した岩手県沿岸地域の生産者に対して技術支援を行ってきたのです。

「高設栽培」とは文字通り、地面より高い位置に栽培スペースを設け、立ったまま作業ができる栽培システムです。津波で被災して塩害が心配されるほ場でも、高設栽培システムを導入すれば、速やかに営農を再開することができます。

被災した苦しい状況下で再興をめざして、新しい商品を創出した事業者もいます。こうした商品を購入することも、被災地への支援になります。