特集1 未来の食を支える 農業に夢をかけよう!(3)
洋ランの栽培から販売まで
農業法人に就職し、経営に参画する
昭和47年に栃木県内でも珍しかった洋ラン栽培を始め、その後、法人化して規模を拡大してきた株式会社アズ。 販売店「マロニエ洋蘭」も手がけている同社の創業者に雇用就農についてお話を聞きました。 |
![]() 飯野会長(右)と平成23年から取締役社長として経営に携わるようになった中山拓也さん(左)
|
![]() 代表取締役会長の飯野俊之さん。農家の出身だが、洋ランの生産・販売会社は一代で築き上げた ![]() 花の咲き具合、つぼみの付き方を慎重に見極めながら、当日発送をする株を選ぶ安野フキさん。入社15年のベテランパートタイマー ![]() コチョウラン12万鉢、カトレア7万鉢を栽培しているほかマレーシアや台湾の生産者に生産委託もしている ![]() 農業系の大学を卒業した後、雇用就農を果たした岡本典和さん。花が好きで、この道を選んだという ![]() ていねいに開花状況をチェックするパートタイマーの吉澤悦子さん ![]() 勤続年数20年以上の社員、菊地千津子さん。発送用の鉢を次々にラッピングしていく マロニエ洋蘭(株式会社アズ) 栃木県宇都宮市上横田町6-1 TEL.028-655-0011 http://az-orchid.com/ Photo:Keiko Urata |
米作りから洋ランの栽培へ
株式会社アズの創業者である飯野(いいの)俊之さんの家はもともと米農家でした。工業系の設計に携わりたいと思っていたものの、長男だったことから農業高校に進み、家業を継ぐことになりました。しかし、飯野さんは米作りではなく、自分で販売価格を決められ、事業として拡大が見込める花作りに挑戦しようと思い立ちました。しかも当時、県内では珍しかった洋ランの栽培を始めようと考えたのです。実績もなく初期投資もかかることから、普及指導員(※)からは心配されましたが、決心は揺るがず、千葉県の有名な洋ランの生産者に弟子入りし、栽培技術を学びました。そして、自己資金と親からの援助で温室を作り、洋ラン栽培に着手してからは、苦手だった人付き合いも積極的に行い、簿記を学び、コンピューターを導入して経営手腕を磨いてきました。洋ラン栽培を始めて10年足らずで法人化を果たし、年間売上げ約2億円を計上する農業法人に成長させました。 依願して入った職場
現在、株式会社アズには社員5名、パートタイマー20名が在籍していますが、社員のほとんどが公募ではなく、本人からの願い出による就農だそうです。採用に関して飯野さんは「なぜ、この仕事をしたいかを明確に答えられることが第一。安定収入だけを求めても、本当に農業を好きじゃないと長続きしません。私は熱意と意志が感じられる人を採用してきました」と話してくれました。そんな飯野さんの採用基準に合格して、平成22年2月に入社したのが中山拓也さんです。昭和56年生まれの非農家出身の青年です。大学卒業後は生花店や大手スーパーに勤めたのち、花の生産に携わることを希望して、飯野さんのもとを訪ねたのでした。飯野さんは、新入社員には苗の栽培から温室管理、出荷、販売、経営管理まで幅広く教えていました。従業員の中には身に付けた技術と知識を生かして独立した人も数名います。中山さんも飯野さんや先輩従業員、パートの女性従業員に学びながら、コツコツと真面目に働いてきました。 経営参画後の試練
飯野さんには息子が2人いましたが、それぞれ別の仕事をしており、跡継ぎはありませんでした。飯野さんが事業の撤退を考えていたところ、中山さんから経営にも携わりたいと申し出がありました。やる気があるなら任せてみようと考え、平成23年から中山さんに経営を委ねることにしたのです。「聞かれれば何でも教えるけれど、自分からは口出しはしません。経営には生産とはまた違う技量が必要です。自己分析力を養ってほしい。資産表を見せ、改善点を考えてもらうようにしています」と飯野さんは言いました。農業法人に就職し、31歳で既存の経営を引き継ぐという願いをかなえた中山さん。そんな中山さんの最初の試練が東日本大震災でした。熱帯から亜熱帯地方原産の洋ランを通年安定して出荷するためには温室での温度調節が必要です。震災の影響で長引いた停電。復旧後も計画停電や電気量、燃料の値上げと厳しい状況が続きました。 的確な経営戦略が必要
「花きの場合、ほかの農産物と異なり、加工して販売するといった幅があまり広くありません。特にうちではコチョウランとカトレアしか扱っていませんから、いかに他社との差別化を図り、生き残っていくかを経営者は常に考えなくてはなりません。慶事に使われることが多い品種なので、廉価にすれば逆に価値が半減してしまう。だから難しい」という飯野さん。中山さんも雇用就農の立場から重責を担う経営者となり、その大変さを実感しているといいます。しかし、このようなチャンスはなかなか巡ってくるものではありません。「僕なんてまだまだです。経験を積んでいくしかありません」という中山さんに静かな闘志を感じました。 (※)普及指導員とは、農業者に直接接して農業に関する情報を提供し、農業者の農業技術や経営を向上するための支援を専門とする、国家資格をもった都道府県の職員をいいます。 中山拓也さんの一日
![]() 一従業員から経営者となった中山さんは、栽培、出荷、直売を含めたトータルな経営管理に日々奮闘しています。午前中は市場出荷の発送準備をし、午後は栽培管理や販売管理。仕事中心の毎日ですが、「やりがいを感じている」と話していました。
|