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農林水産省

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東日本大震災からの復旧・復興に向けて

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土砂と瓦礫の中で咲いた、復興のシンボル

多くの被災者を勇気付けた、「津波に負けないカーネーション」
[宮城県名取市/名取市花卉生産組合]


東日本大震災の津波により、宮城県名取市のカーネーション農家は、壊滅的な被害を受けました。花の株の多くが土砂や瓦礫で押しつぶされ、全滅したかに思われましたが、泥の中から新芽が出て……。今回は、大勢の被災者に希望を与えた「津波に負けないカーネーション」の復興の軌跡をたどります。

「少しでも立派な花を咲かせるために、除塩後も、土壌の分析データを参考にして、慎重に施肥管理などを行っています」と話す菅井さん
「少しでも立派な花を咲かせるために、除塩後も、土壌の分析データを参考にして、
慎重に施肥管理などを行っています」と話す菅井さん

カーネーション

ハウスのほか、ボイラーや農機具など数千万円した機器も破壊された

ハウスのほか、ボイラーや農機具など数千万円した機器も破壊された

花の耐塩性は、生産者も驚くほど

花の耐塩性は、生産者も驚くほど

ボランティアは、販売活動も支援

ボランティアは、販売活動も支援

昨年5月、支援してくれた人々への感謝を込め、朝市で花を無償配布した

昨年5月、支援してくれた人々への感謝を込め、朝市で花を無償配布した


文/吉塚さおり
写真提供/名取市花卉生産組合

みんなの慰めになれば……と、採算度外視での出荷を決意
宮城県名取市は、大消費地の仙台市に隣接し、花き栽培がたいへん盛んな地域。とくにカーネーションは、一枚一枚の花弁の大きさと日持ちのよさから、「名取のカーネーション」としてブランド化され、東北一の生産量を誇っていました。震災前、同市の名取市花卉(かき)生産組合は、年間約380万本もの花を出荷していたといいます。

しかし、平成23年3月、東日本大震災で発生した津波により、海沿いの小塚原地区にあった園芸用ハウスの3分の1が全壊。残ったハウスにも、大量の土砂や瓦礫が流れ込みました。震災当時、組合長だった菅井俊悦(すがいしゅんえつ)さんは「ハウスにいたら瓦礫が流れ込んできて……。もう、何もかも終わりだと思いました」と、当時を振り返ります。

咲きかけていたカーネーションは、なぎ倒され、泥に覆われて無残な姿に。ところが、カーネーションのごく一部は、枯れることなく、泥の中から新しい芽を出したのです。

「芽吹いた双葉を見たときは、本当にうれしかったですね。わずかですが、希望を感じました」と、菅井さん。

震災後に倒れた株から咲いた花は、色味はやや劣るものの、きれいに洗うことで、地元の直売所で販売できることに。菅井さんたちは、被災した人々の慰めになれば、と4月下旬から一束300円で出荷を始めました。

花に対する感謝の声が、再出発の原動力に!
厳しい状況のなかで、店頭に並んだカーネーションには、大きな反響が。

「花に勇気をもらいました!」「復興のシンボルです」という声が次々に寄せられ、いつの間にか、「津波に負けないカーネーション」という呼び名がつきました。花は被災者に癒しや希望を与えるなど、金銭には代え難いものをもたらしました。

一時は廃業も考えたという菅井さんたちも、消費者の声に後押しされ、本格的な花き生産再開を決意します。

平成23年6月から、延べ500人のボランティアの手を借りて、瓦礫やヘドロを除去。9月から、東日本大震災農業生産対策交付金などを活用し、施設等の復旧を進めました。

平成24年には、長谷川豊酪農学園大学特任教授らに、微生物を使用した土地改良材を提供してもらい、塩害を克服。24年度の作付けは、震災前の約92%まで回復し、「名取のカーネーション」の復活を印象付けました。

平成25年からは、フラワーアレンジメントに加工して販売するなど、6次産業化にも着手。震災前からの課題だった後継者の確保も進んでいるとか。

「ここまで来られたのは、みなさんの支援のおかげです。母の日に向け、立派なカーネーションを出荷することで、恩返しできれば」と、菅井さんは、笑顔を見せてくれました。