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特集2 食文化研究家・清絢(きよしあや)の味わいふれあい出会い旅(1)

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第1回東京都江東区 「深川めし」のルーツを巡る下町探訪


お寺に生まれ、近所のおばあさんたちが持ち寄る郷土料理に育まれて成長し、いつしか、食文化研究家に。
そんなわたくし清 絢が、日本各地の郷土食を訪ねて歩きます。
作り方はもちろん気になるけど、それ以上にふるさとの味を守る、素敵な人たちにもたくさん出会いたいと思っています。
第1回目は、かつて漁師町だったというこの町で、「深川めし」のルーツを探します。
ほら、濃厚な味噌の香りが、ふわ~っと漂ってきましたよ。

清 絢( きよし・あや)
清 絢( きよし・あや)
大阪府出身。日本各地の農山漁村を訪ね、伝統的な食文化や暮らしについて、調査研究を行う。
日本の食文化を次世代へ継承するために、執筆、講演など、さまざまな形で活動中。

旅のルート

富岡八幡宮
まずは江戸最大の八幡様でかつてのにぎわいを思い浮かべて……

富岡八幡宮

八幡宮は、江戸の勧進相撲発祥の地で、100年にわたり境内で相撲が開催。力士の身長の碑は、わたしの2倍ほどの高さも! 

八幡宮は、江戸の勧進相撲発祥の地で、100年にわたり境内で相撲が開催。力士の身長の碑は、わたしの2倍ほどの高さも!

堂々たる横綱力士碑の横には「魚がし」の文字が

堂々たる横綱力士碑の横には「魚がし」の文字が

お守り


文/清 絢
写真/川端正吾
イラスト/竜田麻衣

東京の東部、江東区にある深川。江戸の下町情緒あふれるこの町で、江戸時代に、地元漁師の日常食だったという深川めしを訪ねました。

まずは、伝統の味を育んだ町をよく知りたいと思い、富岡八幡宮へ。

寛永4(1627)年創建のこの神社では、深川の歴史や文化を深く研究されている神職の松木伸也さんからお話を伺いました。

「創建当初、今の八幡宮のまわりは海で、永代島という東京湾に浮かぶ島だったんですよ」と松木さん。

「江戸の人口が増えるにつれて、島の周囲が埋め立てられ、計画的に運河や船着場も整備され、漁師さんや船頭さんなどが多く集まる町になりました。そのため、八幡宮の氏子にも当時は漁師が多かったのです」と松木さんは静かに語ります。

『江戸方角安見図』(延宝8年/1680年)に描かれた富岡八幡宮(当時は永代島八幡宮)。一帯はかつて永代島という東京湾に浮かぶ島だった

『江戸方角安見図』(延宝8年/1680年)に描かれた富岡八幡宮(当時は永代島八幡宮)。一帯はかつて永代島という東京湾に浮かぶ島だった

深川不動堂
江戸庶民が信仰した「深川のお不動様」は触ってもいいんですね~

直接手で触れながら願をかける「おねがい不動尊」。材質は樹齢700年以上のクスノキ。

直接手で触れながら願をかける「おねがい不動尊」。材質は樹齢700年以上のクスノキ。

イワシを乾燥させた肥料「干鰯」の仲買問屋が寄進した石板。

イワシを乾燥させた肥料「干鰯」の仲買問屋が寄進した石板。

深川に、海にまつわる仕事をする人々が多かったことは、すぐそばの深川不動堂を見てもわかります。

境内には、信者が寄進した石碑などが並んでいますが、そのなかに、「魚がし」や「干鰯(ほしか)」の文字がいくつも。漁業関係の人たちでにぎわっていた時代に、思いをはせました。

千葉県の成田山新勝寺からお不動様を運び、この地で定期的に出開帳していた

千葉県の成田山新勝寺からお不動様を運び、この地で定期的に出開帳していた

旅のルート

深川江戸資料館
江戸時代の深川に迷い込んだような不思議気分……

天保12年ごろの深川佐賀町の町並みを実物大で再現した展示は、江戸時代に迷い込んだよう。アサリやシジミの「むきみ」を天秤棒で担いで売り歩いた棒手振の長屋

天保12年ごろの深川佐賀町の町並みを実物大で再現した展示は、江戸時代に迷い込んだよう。アサリやシジミの「むきみ」を天秤棒で担いで売り歩いた棒手振の長屋

天保12年ごろの深川佐賀町の町並みを実物大で再現した展示は、江戸時代に迷い込んだよう。アサリやシジミの「むきみ」を天秤棒で担いで売り歩いた棒手振の長屋

天保12年ごろの深川佐賀町の町並みを実物大で再現した展示は、江戸時代に迷い込んだよう。アサリやシジミの「むきみ」を天秤棒で担いで売り歩いた棒手振の長屋

さて、町の成り立ちを尋ねたあとは、深川江戸資料館で、江戸時代へとタイムスリップ。こちらには、天保12(1841)年ごろの深川佐賀町の町並みが、実物大で再現されています。

深川に漁師町ができたのは寛永6(1629)年。隅田川河口の東側に広がっていた干潟を埋め立てて作られました。当時、深川でとれた魚介類は、キス、イシガレイ、ホウボウ、コダイ、アイナメ、さらにシバエビやカキなど、多種多様です。

なかでも、とくに有名だったのが貝類で、再現された町並みにも、アサリやシジミといった貝のむき身を扱った漁師の家を発見。アサリやアオヤギは東京湾で大量にとれたため、漁師たちの船上でのまかないとなりました。その頃は海水や味噌で煮た貝のむき身を、ご飯の上に豪快にかけたどんぶりでした。近代に入り工場が立ち並ぶと、このぶっかけ飯が屋台で売られ、深川を代表する郷土食の「深川めし」として知られるようになりました。

深川宿
いよいよ地元の漁師直伝、ぶっかけ飯をいただきまーす!

深川めし

浜松風(かぜ)

店の看板メニュー「深川めし」と、炊き込みご飯の「浜松風(はままつかぜ)」。国産の大ぶりなアサリにこだわり、木更津産などを使用。煮物、吸い物、お新香、甘味付きで各1,950円(税込み)

そしてついに、いちばんのお目当て、深川めしの老舗「深川宿」へ。資料館の目の前にあるので、江戸っ子気分のまま、深川めしを味わえます。

深川めしを出すお店は多数ありますが、その多くはアサリの炊き込みご飯。

「深川には木場(きば)があり、材木を扱う大工がいっぱいいてね。彼らがアサリの炊き込みご飯を握り飯や弁当にしたのがルーツじゃないかな」と店主の日東寺隆美(にっとうじたかみ)さんは話してくれました。

深川宿では、漁師たちが好んだ〝ぶっかけ飯〞スタイルの深川めしを出しています。

30年ほど前に日東寺さんは、消え行く深川めしを残念に思い、古老の漁師から家庭で食べた味を聞き、実際に作ってもらったそうです。

「そのときの深川めしは、アサリとぶつ切りのネギが入った塩辛い味噌汁を、ご飯にかけただけの素朴な味でね」と日東寺さん。

それをベースに、味噌を数種類ブレンドし、みりんなどを加えて食べやすくしたものをメニューに。

手際よく調理された深川めしは、まさに日本人が愛してやまない〝うまみ〞を味わえる一杯でした。

今では現役の漁師はいなくなりましたが、その町並みや今も愛される地元の味に、漁師町としての名残りを感じます。深川めしは、当時の町や人々の活気が感じられる〝タイムカプセル〞のようでした。

ちょこっと寄り道
深川江戸資料館や深川宿から歩いて5分ほどのところにある「清澄庭園」。大きな池のまわりには、四季折々の花や日本全国の名石も

深川江戸資料館や深川宿から歩いて5分ほどのところにある「清澄庭園」。大きな池のまわりには、四季折々の花や日本全国の名石も
 
散歩のおとも
明治10年創業の「カトレア」(創業時は名花堂)の「元祖カレーパン」。昭和2年に、カレーライスとカツレツを合わせて考案

明治10年創業の「カトレア」(創業時は名花堂)

明治10年創業の「カトレア」(創業時は名花堂)の「元祖カレーパン」。昭和2年に、カレーライスとカツレツを合わせて考案

地図   (1) 富岡八幡宮
江東区富岡1-20-3
TEL : 03-3642-1315
(2) 深川不動堂
江東区富岡1-17-13
TEL : 03-3641-8288
(3) 深川江戸資料館
江東区白河1-3-28
TEL : 03-3630-8625
第2、4月曜(祝日の場合は翌日)、年末年始休
(4) 深川宿
江東区三好1-6-7
TEL : 03-3642-7878
月曜(祝日の場合は翌日)休
(5) 清澄庭園
江東区清澄3-3-9
TEL : 03-3641-5892
年末年始休
(6) カトレア
江東区森下1-6-10
TEL : 03-3635-1464
日曜、祝日の月曜休