登録の公示(登録番号第123号)
更新日:令和5年1月31日
担当:輸出・国際局 知的財産課
担当:輸出・国際局 知的財産課
下記の地理的表示について、登録の公示をしたのでお知らせします。
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伊達のあんぽ柿
1 | 登録番号 | 第123号 | ||||
2 | 登録年月日 | 令和5年1月31日 | ||||
3 | 登録の申請の番号 | 第159号 | ||||
4 | 登録の申請の年月日 | 平成30年1月26日 | ||||
5 | 登録生産者団体の名称 | 伊達地方あんぽ柿連絡協議会 | ||||
6 | 登録生産者団体の住所 | 福島県伊達市保原町字7丁目33-3 | ||||
7 | 登録生産者団体の代表者の氏名 | 会長 佐藤 孝一 | ||||
8 | 登録生産者団体のウェブサイトのアドレス | - | ||||
9 | 特定農林水産物等の区分 | 第五類 農産加工品類 果実加工品(干柿) | ||||
10 | 特定農林水産物等の名称 | |||||
11 | 特定農林水産物等の生産地 | 福島県伊達市、国見町、桑折町、福島市の立子山・飯坂・宮代・岡部・大笹生・大波、川俣町の飯坂、宮城県白石市の越河・大平 | ||||
12 | 特定農林水産物等の特性 | |||||
(1) 品質特性 「伊達のあんぽ柿」は、色艶の良い鮮やかなオレンジ色の果肉を有し、表面は乾燥しつつも触感は全体的に柔らかく、内部は半生でジューシーかつトロリとした口当たりの良い食感が特徴の干柿である。 果糖とブドウ糖の割合が良いため、甘みがほんわりと口の中で長く続き、他の高糖度の干柿よりも糖度が低いため上品な甘味として感じられる。 また、通常、生柿に豊富に含まれるビタミンCは、干柿に加工した場合著しく減少するが、「伊達のあんぽ柿」は他の干柿の7~15倍のビタミンCを含んでいる。 (2) 社会的評価 「伊達のあんぽ柿」の生産地である福島県伊達郡梁川町五十沢地区は、「あんぽ柿」の発祥の地で、かつ干柿における「硫黄燻蒸技術」の発祥の地でもあり、昭和24年には農林省より「あんぽ柿加工村」に指定されている。 生産地において干場に暖簾のように柿を干すオレンジ色のカーテンを思わせるような乾燥風景は、「柿ばせ」と呼ばれ、11月中旬から12月中旬に度々メディアに取り上げられるなど、当該地域における冬の風物詩となっており、平成9年度には農林水産省が主催する「第6回美しい日本のむら景観コンテスト」で、「むらづくり対策推進本部長賞」を受賞している。 また、昭和36年から伊勢神宮への献納を、平成19年から22年には、皇室への献上を行っており、平成22年2月に「福島県ブランド認証」における加工品の産品として認証を受けている。 「伊達のあんぽ柿」は、東日本大震災前の平成22年まで、「あんぽ柿」として全国一、干柿全体としても全国有数のシェアを占めており、東日本大震災の影響により2年間の出荷自粛に至ったが、平成25年から出荷を再開し平成30年度には震災前の約82%の水準まで回復している。 |
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13 | 特定農林水産物等の生産の方法 | |||||
(1) 原料柿の品種 伊達地方あんぽ柿連絡協議会(以下「協議会」という。)が指定した品種である「蜂屋柿」又は「平核無柿」を使用する。 (2) 原料柿の生産方法 協議会が定めた「栽培指針」に基づき原料柿の生産を行い、収穫後、追熟を行う。 (3) 加工方法 協議会が定めた「農業生産工程管理(GAP)実践マニュアル」に基づき、硫黄燻蒸及び乾燥管理の基準を順守し、加工を行う。 (4) 出荷規格 協議会が定めた「等級」及び「出荷規格」により選別等を行い出荷する。 (5) 最終製品としての形態 「伊達のあんぽ柿」の最終製品としての形態は、柿加工品(干柿)である。 |
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14 | 特定農林水産物等の特性がその生産地に主として帰せられるものであることの理由 | |||||
「伊達のあんぽ柿」の生産地である福島県伊達市を中心とした地域(以下「当該生産地」という。)は、阿武隈山系と奥羽山脈に囲まれた福島盆地に位置し、夏は暑く、初秋は昼夜の寒暖差があるという内陸性盆地気候で、年間日照時間は全国平均とほぼ同様であるが、年間降水量は1,300~1,450mmと全国平均と比べて400mm程度も少なく、台風の被害も少ないため、生育後期に落下の多く発生する原料柿の栽培と乾燥時に気温差を必要とする干柿の生産に適した自然条件を有している。 当該生産地の五十沢地区では、江戸時代に柿の栽培が始まり、その柿の実を原料として剥皮し連(柿を干すための縄)に下げ、天日で干した干柿を「天干柿(あまぼしがき)」(渋柿を干すことで甘くなることを意味する「甘干柿(あまぼしがき)」との説もある)として名付けていたが、その後、原料としていた柿を「蜂屋柿」、その加工品である「天干柿」が遅くとも明治維新以降に訛って「あんぽ柿」と呼ぶようになったことが名称の由来であり、その生産が初めて行われた五十沢地区を「あんぽ柿」の発祥の地とする由縁となっている。 現在は、大正末期に五十沢地区へ導入されていた「平核無柿」についても、第二次世界大戦後の原料柿の不足の際に使用して以降、本格的に「あんぽ柿」の原料柿として使用している。 「あんぽ柿」における「硫黄燻蒸技術」は、色艶の良い鮮やかなオレンジ色の果肉という現在の特性を付与する上で最も重要な生産工程であるが、この外観と完全な渋抜きの両立は難しく、生産当初の「あんぽ柿」は一般的な干柿と同様に黒ずんだ外観をしていたため「黒あんぽ」と称されていた。 大正9年の第一次大戦後の恐慌による繭価・絹糸価の大暴落をうけ、当時、養蚕業が盛んでその専業農家の多かった五十沢地区では、不況対策としての副業開発のため村民が中心となって「あんぽ柿」の改良・研究に取り組み、米国で干しぶどうの乾燥に使用されていた「硫黄燻蒸」を取り入れるべく、様々な問題を解決した後、「硫黄燻蒸技術」を確立し、これが後に全国の干柿生産にも広まったことから、五十沢地区は、干柿における「硫黄燻蒸技術」の発祥地となっている。 「伊達のあんぽ柿」における乾燥技術は、その触感や食感及び外観といった品質特性を付与する上で重要な生産工程であるところ、半生を維持したままでの完全な渋抜きは非常に難しいため、一般的な干柿は、水分量を25%から30%前後まで乾燥させ、果肉の外観は茶色若しくはくすんだオレンジ色で、表面に白い粉(結晶化した糖分)をふかせている場合が多いが、「伊達のあんぽ柿」は、当該生産地の晩秋から初冬の冷涼で穏やかな気温変化に加え、半田山から吹いてくる「半田おろし」という冷たい乾いた弱い風と朝夕の冷え込みにより発生する「阿武隈川の川霧」による調湿作用を活かした生産方法を確立し、時間をかけてじっくりと乾燥させ、50%前後の水分量に仕上げるため、上述の半生に係る特性になる。 また、一般的な干柿の糖度は60度から70度超であるところ、「伊達のあんぽ柿」は、この乾燥工程により糖度が50度程度に留まるものの、糖分組成として強い甘味を感じるが温度上昇とともに急激に感じにくくなる性質を持つ果糖(フルクトース)が17.5%(原料柿:蜂屋柿)及び19.1%(原料柿:平核無柿)に対し、遅効性の甘味で温度の影響が少ないブドウ糖(グルコース)が18.8%(原料柿:蜂屋柿)及び21.3%(原料柿:平核無柿)含まれているため、強い果糖の甘味の消失と入れ替わるようにしてブドウ糖の甘味が発現し継続することから甘みがほんわりと口の中で長く続く“上品な甘味”になるとされている。 さらに、一般的な干柿では、通常、生柿に豊富に含まれているビタミンCは2mg程度と乾燥工程を経て著しく減少してしまうところ、「伊達のあんぽ柿」における100g当たりのビタミンC含有量は、原料柿が蜂屋柿の場合14mg、平核無柿の場合29mgと干柿としては多く含まれており、食感や甘味と同様に「伊達のあんぽ柿」の乾燥工程がもたらすものと考えられている。 なお、「伊達のあんぽ柿」の品質特性は、本来、原料柿が有している果肉の性質を「硫黄燻蒸技術」により活かし、長年極めてきた「乾燥技術」によりもたらされているため、蜂屋柿と平核無柿のいずれを原料柿にしても同様の特性が得られている。 |
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15 | 特定農林水産物等の特性が確立したものであることの理由 | |||||
宝暦年代(1751~1763)に、上五十沢峯部落(現在の五十沢地区)の七右衛門という人物がどこからか柿の木を持ち込んで植えたのが五十沢地区における柿栽培の始まりとされている。 また、当該生産地は、江戸時代初期から養蚕が盛んで、京都・大阪・江戸では「登世糸(のぼせいと)」という名称で知られていたが、大正9年の第一次大戦後の恐慌により繭価・絹糸価が大暴落したことから養蚕専業農家の多かった五十沢地区では、不況対策として余剰労力を動員し副業を開発するため、村民が中心となり当時一般的な干柿と同様に黒ずんだ色をしていた「あんぽ柿」(通称「黒あんぽ」)の製造改善の研究に取りかかり、米国カリフォルニア州で行われていた「硫黄燻蒸」による干しぶどうの乾燥法を「あんぽ柿」へ応用するべく村民が一丸となって研究を重ね、硫黄臭や渋みが残るという課題を解決しつつ、試行錯誤の結果、大正11年11月に当時としては画期的ともいえる鮮やかなオレンジの果肉に仕上げることに成功した。このことから、五十沢地区は「あんぽ柿」を含めた干柿における「硫黄燻蒸技術」の発祥地となった。 この「硫黄燻蒸技術」については、昭和4年に五十沢農業公民学校に教師として赴任した佐藤昌一氏(東白川郡笹原村出身)が学理的研究を重ねて作成した小冊子「硫黄燻蒸 五十沢アンポ柿」により五十沢地区全村の生産者に普及実施を見るようになり、「硫黄燻蒸」により改良された「あんぽ柿」は、国内各地で好評を得て、名称も全国的に通用するに至り、昭和40年代には、全国から農業団体が視察に訪れ、五十沢地区がそれを受け入れた結果、「あんぽ柿」の製法が各地に伝播し、現在の干柿における「硫黄燻蒸技術」が普及するとともに、全国各地で「あんぽ柿」の名称を付した干柿の生産が散見されることとなった。 なお、「伊達のあんぽ柿」の名称は、昭和53年に開催された「第1回あんぽ柿品評会」において初めて使用されて以降、ブランドとして確立しており、平成30年5月にはふくしま未来農業協同組合を商標権者として地域団体商標に登録している。 原料柿の維持のため、平成12年から15年に「梁川町柿遺伝子資源保存・活用調査研究会」が、雄花を持たない蜂屋柿・平核無柿の受粉樹に最適な地域内の品種を調査し、梁川町柿の木文化財として認定樹を登録した上で、「やながわ柿図鑑」を発行した。 平成22年度における全国の干柿の生産量は7,811tで、福島県の生産量3,073tのうち当該生産地の「あんぽ柿」の生産量は少なくとも1,207tと干柿としては全国の15%超、福島県の39%超を占めており、「あんぽ柿」の生産量で圧倒的に日本一であったことは勿論のこと、干柿全体の生産量においても全国有数のシェアを誇っていたが、平成23年3月11日に発生した東日本大震災による東京電力福島第一原子力発電所事故の影響により、2年間の生産・加工及び出荷自粛を余儀なくされた。 このため、当該生産地では、平成25年に安全な原料柿の確保(幼果期・収穫前検査)、検査結果に基づいた「加工再開モデル地区」の設定、世界初の放射能測定器(非破壊検査機器)の導入及び農業生産管理工程(GAP)の導入(二次汚染対策:干場清掃、加工機器分解清掃)等の取り組みを開始し、「加工再開モデル地区」については、「非破壊検査機器による全量検査」を実施する生産者(圃場)に限り加工可能となったことを踏まえ、同年12月2日から出荷を再開、平成30年度には福島県全体のあんぽ柿として1,314tを出荷しており、平成22年度の約82%の水準まで回復している。 当該生産地では、昭和45年に初めて火力乾燥機を導入して以降、昭和54年に当該生産地が全国で初めて開発した真空吸引式皮剥機、平成元年に遠赤外線利用乾燥をそれぞれ導入しており、生産者の高齢化や後継者不足を補う観点からも「伊達のあんぽ柿」の生産・加工に対し積極的な技術導入を推進している。 平成27年2月に、「あんぽ柿料理コンクール」を開催し、平成27年7月には、「伊達のあんぽ柿」を地域の食産業・食文化、福島県のブランド及び次世代へ残すべき伝統産業として位置付け、復活と継承を行うべく「がんばっぺ!!あんぽ柿協議会」を設立するなど、当該生産地全体の生産者、協議会及び各関係機関が三位一体となって協力し推進を図っている。 |
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16 | 法第13条第1項第4号ロ該当の有無 | 該当する | ||||
商標権者の氏名又は名称 | ふくしま未来農業協同組合 | |||||
登録商標 | 伊達のあんぽ柿 | |||||
指定商品又は指定役務 | 29 福島県伊達地域産の干し柿 | |||||
商標登録の登録番号 | 第6046830号 | |||||
商標権の設定の登録及び存続期間の満了の年月日(当該商標権の存続期間の更新登録があったときは、当該商標権の存続期間の更新登録及びその存続期間の満了の年月日を含む。) | [登録年月日]平成30年5月25日 [更新登録日]- [存続期間の満了年月日]令和10年5月25日 |
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専用使用権者の氏名又は名称 | - | |||||
商標権者等の承諾の年月日 | 平成30年5月25日 | |||||
17 | (11から13までに掲げる事項と明細書に定めた法第7条第1項第4号から第6号までに掲げる事項とが異なる場合)その内容 | - | ||||
18 | 特定農林水産物等の写真 | ![]() |
登録簿(PDF : 176KB) | 明細書(PDF : 173KB) | 生産行程管理業務規程(PDF : 93KB) |
お問合せ先
輸出・国際局 知的財産課
担当者:地理的表示保護制度担当
代表:03-3502-8111(内線4284)
ダイヤルイン:03-6744-2062
FAX:03-3502-5301