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農林水産省

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更新日:平成28年12月7日
担当:輸出・国際局 知的財産課

登録の公示(登録番号第22号)

下記の地理的表示について、登録の公示をしたのでお知らせします。

くにさき七島藺表

1
登録番号
 第22号
2 登録年月日  平成28年12月7日
3 登録の申請の番号  第28号
4 登録の申請の年月日  平成27年6月29日
5 登録生産者団体の名称  くにさき七島藺振興会
6 登録生産者団体の住所  大分県国東市安岐町富清3209
7 登録生産者団体の代表者の氏名  会長 林 浩昭
8 登録生産者団体のウェブサイトのアドレス  http://shitto.org/【外部リンク】
9 特定農林水産物等の区分  第41類 畳表類 七島イ畳表
10 特定農林水産物等の名称  くにさき七島藺表(クニサキシチトウイオモテ)
11 特定農林水産物等の生産地  大分県国東市、大分県杵築市
12 特定農林水産物等の特性
 

くにさき七島藺表の原料となる七島藺はイ草の5~6倍の強度を持ちまた、イ草の2倍以上耐焦性を持つ。そのため、柔道畳はもとより職人の仕事場や劇場の桟敷、炭鉱の住宅、北関東から東北にかけての囲炉裏を使った農家などでは欠かせない敷物だった。

七島藺の耐焦性データ(大分県農業技術センター)(PDF : 187KB)
七島藺の強靱性のデータ(大分工業試験場)(PDF : 203KB)
大分文理大学柔道場 (くにさき七島藺振興会)(PDF : 116KB)
高山陣屋の女中部屋(くにさき七島藺振興会)(PDF : 121KB)


織り方の違い

一般的なイ草の畳表は引目織りで織られ、一目に二本糸が入り目が揃って織り上げられるのに対し、くにさき七島藺表は青筵とも呼ばれ筵と同じ一目に一本の糸が入る目積織りのため畳目の間が荒く織り上げられる。その為、イ草の表のような均一な美しさではなく、ざっくりとした自然な風合いが感じられる。

イ草とくにさき七島藺表の織りの違い(くにさき七島藺振興会)(PDF : 186KB)


色合いの変化

くにさき七島藺表はクリーム色から飴色に変わりイ草表と違い艶が出てきて使うほどに味わいが増す。
近年、琉球畳と言われる縁の無い畳が増えてきているが、元は古民家などで見られる七島藺を使った縁無畳から来ていて、自然な風合いが好まれ関東圏を中心に人気が高い。

七島藺の色合いの経年変化(くにさき七島藺振興会)(PDF : 149KB)


価格・相場

畳業界紙である敷物新聞社の平成27年11月20日付けの相場表では、一次問屋である産地問屋の庭先渡し値が上物で15,000円となり、記事にもあるように高い人気が相場を上げている。この人気の元は先にも述べたように他のイ草表とは原料も、織りも全く違う畳表であるということだ。他の地域との産地間の競争も無く全く独自な風合いが評価されている。イ草表との比較は難しいがサイズと織りに使う糸から比較すると、本間麻引きというクラスに相当する。高級ブランドの国産イ草畳表の2~3倍程度の価格にも関わらずイ草には無い独特の風合いが喜ばれ、国産のくにさき七島藺表は非常に人気が高く、年間2,000枚程度の出荷が限界であるにもかかわらず、10,000枚程度の注文が寄せられている。

藺草・藺製品相場表(平成27年11月20日付け。敷物新聞社提供)(PDF : 272KB)
大分産地の状況(平成27年11月20日付け。敷物新聞社提供)(PDF : 244KB)

13 特定農林水産物等の生産の方法
 

1 くにさき七島藺表の原草の基準

くにさき七島藺表の原草は国東市産もしくは杵築市産の七島藺で以下の基準を満たした乾燥した原草を使用すること。
1) 原草は製織用に裁断された長さ120cm以上のものを使い、茎の太さが中庸でバラツキがなく、茎の先端と根元の太さが揃っているもの。
2) 虫食い、変色、折れ、などの無い原草を使うと共に、畳表の表面が均一になる様に太すぎたり細すぎるものは織り込まないように選別する。
3) 原草の色沢は鮮やかな銀青白色で、適当な弾力があり、製織した畳表が均質な色沢となる様に選別する。


2 製織の基準

高品質の表織りの出来る織機(下記1)または2))により、3)の織り糸を使用し国東市もしくは杵築市産の七島藺を使い目積織りで織り上げられたもの。

1) 高品質の表織りの出来る半自動織機で、七島藺表の押さえの機構が二つ付いた最も後期の織機で製織したもののみとする。
2) 高品質の表織りの出来る全自動織機で、七島藺表専用として改良された織機で織られたもののみとする。
3) 織り糸は全自動織機の場合15番手以上、半自動織機は30番手以上のジュウト麻糸とする。

くにさき七島藺半自動織機(くにさき七島藺振興会)(PDF : 137KB)
くにさき七島藺全自動織機(くにさき七島藺振興会)(PDF : 124KB)


3 くにさき七島藺表の出荷基準

上記の基準で選別された原草を用い、織り上げながら折れや色むら抜けや二本差しなど不具合を発生させないように注視しながら織り上げる。基準は以下の通り。

1)規格  幅95~110cm  長さ200cm以上の場合、重量一枚2.3kg以上
   (上記以外の長さの場合、重量は上記の基準に準じる)
2)畳表にイ切れ、経糸切れ、間不足の不具合がないこと。
3)七島藺栽培の生産者、製織者名、が明示されていること。
4)七島藺表の織り方、長さ、幅、重量が規定通りに出来ていること。
5)虫食い、色むら、折れ、二本差し、など無く優美に織り上げられていること。

最終製品としての形態:「くにさき七島藺表」の最終製品としての形態は七島イ畳表である。

14 特定農林水産物等の特性がその生産地に主として帰せられるものであることの理由
 

七島藺は、主に畳表の原料として使われ東南アジア原産のカヤツリクサ科の植物である。七島藺という名称はトカラ列島が原産地であり、当時住民が住んでいた島が7つあったところから名付けられた。
七島藺は、亜熱帯の植物のため高温で日照時間が長いほど生育が旺盛になるが、南にいくほど生育が旺盛になり過ぎ表皮が固くなりしなやかさに欠けるようになる。低温には弱い植物であり地下茎で冬を越すため、霜などで地面が凍結すると地下茎が損傷して、生育不良や出芽不良を招くため、平均気温が15度以上で、0度以下の日が続かない温暖地が良いとされている。また、湛水状態だとベッ甲病という七島藺独特の赤い斑点がでる病気に罹りやすく植え付け後、根が活着した後は水を抜き乾いた状態にしておく事が必要である。このように七島藺栽培には日照時間が長く降水量が比較的少ない地域で冬場は霜が降りにくい気候が最適であると言える。国東半島は温暖で比較的降水量が少ない瀬戸内海式気候であり、上記の条件に合い、また、日照時間が長い割に暑すぎないという気候が、しなやかな畳表を作るための七島藺栽培に最適な地と言える。
原料である七島藺自体に耐焦性があるため、くにさき七島藺表はイ草の畳表よりも焦げにくい性質がある。
また、原料である七島藺自体にイ草よりも強度があること、草にストレスをかけにくい目積織りで織られていることから、イ草の畳表と比較して強度がある。目積織りは、筵と同じ織り方であるため、イ草の畳表で用いられる引目織りのような均一な美しさはないが、ざっくりとした自然な風合いに仕上がる。織り方に由来するくにさき七島藺表の独特の風合いへの評価は高い。

国東半島は両子山の噴火によって出来た地域であり、耕作面積が狭く、火山性の土壌で保水力が無い上、瀬戸内海式気候で雨が少ないという不毛の地だった。先人が椎茸栽培のため山頂にクヌギを植えたことで、落ち葉や役目を終えたクヌギなどで腐葉土が形成されると共に、1200もの、ため池を山に作ることでようやく農業が可能になった。それでも猫の額ほどの圃場がほとんどであった。そんな小さな圃場にうってつけなのが七島藺だった。小さな圃場だから水の管理もしやすく、ベッ甲病という七島藺特有の病気に罹っても広域に広がることが無い。そしてなにより換金作物として冬場の農閑期に夜なべをして織り上げれば翌日現金になる。このことが、秘境と言われた地域であっても多くの若者が高等教育を受けられ、皮肉にも産地の衰退を招いたとも言える。このように江戸の初期から、昭和中頃まではこの地を支えた重要な作物であった。
このような価値のある産業であったが、過酷な農作業や、専業農家でしか栽培できないことで急激に減少、平成21年には5軒まで減り産地消滅も目前だった。その様な状況に危機感を持った県内畳店、七島藺問屋、行政、地域住民や移住者、生産者などで「くにさき七島藺振興会」を立ち上げた。振興会では、生産者の長年の経験とくにさき七島藺に価値を見いだした移住者の知見を併せながら、350年の伝統を守りつつ、七島藺のファンのすそ野を広げるための活動を実施している。また、担い手の育成や支援も実施しており、七島藺の文化を地域共有の財産として守り育てている。

15 特定農林水産物等がその生産地において生産されてきた実績
 

東南アジア原産である七島藺がいつ日本に伝わったかはわからないが、江戸時代以前、すでに琉球(りゅうきゅう)(沖縄県)や薩摩藩(さつまはん)(鹿児島県)では栽培から加工までが行われていたと考えられる。
豊後(ぶんご)(大分県)に七島藺が伝来したのは、1660年以降で、府内(ふない)伝来説と日出(ひ じ)伝来説があり、どちらも鹿児島地方の七島藺苗を持ち帰っている。持ち帰られた苗は、府内藩(大分市)・日出藩(日出町)・杵築藩(杵築市・国東市)などによって栽培が奨励され、別府湾沿岸の地域に急速に広がった。

現在に至るまでの経緯

1750~1770(宝暦・明和)には各藩の保護奨励により急増し豊後は青筵の本場となり幕末には300万枚におよび豊後表の名で知られた。
青筵は農家の収入源と共に、藩の財源としても重要な位置を占めた。商人には権利金や毎年の運上金を上納させ農民からは税を徴収し、藩の財政を助けた。
藩は製品の規格を定め、積出検査も厳重にし、役人が出張し販路拡大や青筵の市況を探るなど品質を高めるため指導統制した。
昭和8年には七島藺試験地が設置され、昭和10年1600ha生産高650万枚に達した。昭和20年代後半から社会情勢が安定し七島藺の栽培も復旧し昭和31年から33年にかけて1500ha550万枚の盛況をみせ、全国一の生産を誇った。
しかしながら、大分地方は新産業都市建設、大分鶴崎臨海工業地帯の造成で七島藺栽培も自然消滅し、国東地方も柑橘振興策により転向する農家が相次ぎ、また兼業農家が増加し臨空地帯農業の振興とあいまって急速に生産者が減少した。
平成21年大分県中津市の二豊製畳有限会社が大分県の特産品であった七島藺の産地消滅を防ぐため活動開始、平成21年厚生労働省の「ふるさと雇用再生事業」に七島藺の再生事業が採択され本格的な再生に取り組む。生産者のみならず県、市、多くの協力者を得て平成22年10月「くにさき七島藺振興会」を設立。
当時生産者5名の内4名は70代以上で産地消滅寸前だったが、平成27年6月現在、新規就農者も増え10軒となり平均年齢も大幅に下がり産地復活に向けて活動している。

七島藺試験地(くにさき七島藺振興会)(PDF : 131KB)
大分県でのシチトウイ栽培面積と研究指導機関の変遷(林 浩昭  世界農業遺産「クヌギ林とため池がつなぐ国東半島・宇佐の農林水産循環」での重要特用作物シチトウイの栄枯盛衰と試験結果より)(PDF : 161KB)

16 法第13条第1項第4号ロの該当の有無  該当しない
商標権者の氏名又は名称  -
登録商標  -
指定商品又は指定役務  -
商標登録の登録番号  -
商標権の設定の登録の年月日  -
専用使用権者の氏名又は名称  -
商標権者等の承諾の年月日  -
17 (11から13までに掲げる事項と明細書に定めた法第7条第1項第4号から第6号までに掲げる事項とが異なる場合)その内容  -
18 特定農林水産物等の写真  くにさき七島藺表写真

 

登録簿(PDF : 1,784KB) 明細書(PDF : 1,907KB) 生産行程管理業務規程(PDF : 767KB)

お問合せ先

輸出・国際局 知的財産課

担当者:地理的表示保護制度担当
代表:03-3502-8111(内線4284)
ダイヤルイン:03-6744-2062
FAX:03-3502-5301

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