5.クニから”国”へ 鉄の出現【第2章「農」の発生】
皆さんは、「邪馬台国」あるいは「卑弥呼」という言葉を聞いたことがありますか?邪馬台国は、弥生時代の頃、日本にあったクニのひとつであり、卑弥呼はその国の女王であったという話が古い中国の文献に出てきます。しかし、その邪馬台国がどこにあったのかは証明されておらず、九州であった、あるいは大和平野であったなどと、今でも考古学会の大きな論争のひとつになっています。
その頃の日本は多くのクニに分かれており、いくつかの大乱(大きな戦争)があったようですが、やがて、中国大陸から“鉄”を作る技術が入ってきました。当然のことですが、この“鉄”を多く持ったクニが勢力を伸ばし始めます。鉄は武器にもなるし、防具にもなります。そして、“農”においても革命的な働きをしました。
水田を広げるには、川から水を引いてくる水路が必要でしたね。鉄が出現するまでは木製や青銅のクワでしたから大した水路は掘れません。ところが、クワの先を鉄でおおうだけで、地面を掘る能力は何倍にも高まります。これで水田の面積<=富>はいっぺんに増えることになったのです。そうやって富を蓄えたクニの王は大きな古墳(お墓)を造り始めます。こういう大きな土木工事も、鉄が可能にしたのです。
さて、そうしたクニ同士の戦いの中から、大和にあったクニが勝ちを収めていきます。3~4世紀には、大和政権とも言うべき国家が生まれたと日本史にはあります。古墳の数は、全国で20万以上あるらしいのですが、古墳の長さが200m以上もある大きなものはほとんど今の奈良県と大阪府に集中しています。
中でも仁徳天皇陵は世界最大のお墓として有名です。ある建設会社の試算では、1日7千人近くが働いたとしても15年以上かかる大工事であったとのことです。この頃すでに大和政権は世界でも最大級の工事を行なうだけの富と労働力を持っていたことが分かります。この仁徳天皇は農地の拡大のため、和珥池(わにのいけ)、横野池(よこのいけ)等のため池を造り、大阪の茨田提(まんだのつつみ)という大堤防やいくつかの大きな水路も手がけるなど、精力的な土木家であったことも知られています。
日本では、石器時代から縄文時代まで何万年という長い時代が続きましたが、「農」が出現したとほぼ同時にクニらしきものが生まれ、数百年で強大な国家が誕生したことになります。
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