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関東農政局

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1.近代までの開発

大井川平野の開発

  大井川下流部に広がる大井川平野(志太(しだ)平野)は、古くから洪水被害に苦しめられてきた地域です。そのため、この平野の開発が本格化したのは、戦国時代に武田氏や中村氏、山内氏といった諸大名が、堤防の築造や大井川の流路変更など、治水対策に力を注いでからのことでした。

  江戸時代、大井川には数多くの水門取水口が築かれ、用水路が引かれました。「監物川」や「向谷用水」、「木屋用水」など、昭和に至るまで使い続けられる有名な水路はもちろん、無名の水路も数多く造られています。大井川平野の新田開発はピークを迎え、平野の大部分を占めていた駿河国(するがのくに)(大井川をはさんで東側)では、室町時代から江戸時代中期にかけて、農地面積が三倍近く増加したほどでした。

  しかし、新田が増えれば増えるほど必要な水は増加します。しかも大井川平野の土壌は、元々水がしみ込みやすく、水田は「ザル田」(ザルのように水を通してしまう水田)と呼ばれるほど大量の水を必要としました。時代が進むにつれ大井川平野は深刻な水不足に陥ることになります。

  明治以降、大井川平野では農地の改良や水門、用水路の改修などに力が注がれました。しかし、これらの整備は、水不足に対する抜本的な対策とはなりませんでした。深刻な状況は大正、昭和に入ってからも続いていきます。

 

小笠地域の開発

  一方、大井川の西側に位置する小笠地域は、大井川平野とはまた違った自然条件にあります。この地域は台地や丘陵地が多いため、谷間の小さな平野が主な開発対象でした。大井川のような洪水を繰り返す大河川が無いため、古代から中世にかけては、比較的開墾しやすかったのでしょう。小笠地域の開墾は、記録に残る石高などから、江戸時代までには一段落していたと考えられています。

  しかし、この地域には、大規模な洪水を起こす川が無い代わりに、水量の豊富な川もありません。小さな平野のほとんどが農地へと変わった江戸時代には、川の水だけでは田畑を潤すことができなくなっていきました。この時代、農民たちは用水不足を何とか解消しようと数多くのため池を築いています。しかし、ため池の多くは、それまで足りていなかった田畑の水を補うためのものであり、地域全体で使える水に余裕ができるわけではありません。常にぎりぎりの水量で農業を営まなければならない状況は変わりませんでした。

  明治時代、小笠地域では、掛川市の実業家、山崎千三郎によって「大井川疏水計画」という一大計画が出されます。しかし、この「大井川から取り入れた水を、小笠地域まで導く壮大な計画」は、工事にかかる莫大な費用が障害となり実現には至りません。小笠地域の水不足もまた、大正、昭和に入っても続くことになります。

 

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