1.古代の開発
農耕の始まり
当事業地区にみられる最も古い農耕の跡は、小笠地域の白岩(しらいわ)遺跡(菊川市)と考えられます。弥生時代中期のものと推定されるこの遺跡は、菊川支流の小河川が形成した小高い自然堤防上に集落が形成され、水田が営まれていた痕跡を残しています。
大井川平野では、焼津市(やいづし)の道場田(どうじょうだ)遺跡から、畔に囲まれた小さな区画跡が見つかっており、古墳時代の水田跡と考えられています。この遺跡は大井川から程遠い瀬戸川支流の小河川近くで発見されたもので、畦の中央には用水路と考えられる凹みも見つかっています。おそらくは、近くの小川から水が引かれ、小さな水田が営まれていたことでしょう。
古代の技術では、大井川のように洪水の多い大河川から水を引くことがほとんど不可能でした。人々は、まず水の引きやすい小河川近くに定住し、稲作を始めたものと考えられます。
白岩遺跡と道場田遺跡の位置
条里水田
焼津市(旧大井川町)の藤守遺跡では、条里水田の跡が見つかっています(開発により現在は消滅)。「条里」とは、古代になされた碁盤目状の土地区画で、その起源は諸説ありますが、大化の改新(646年)以降に布かれた公地公民制によるものとも考えられています。
藤守遺跡は、大井川平野にあるものの、洪水の勢いが弱まる最下流部の小高い場所に位置していました。また、その集落跡は、周りを堤防で囲んだ輪中集落となっており、洪水に対する備えがなされていたことが分かります。大井川平野では、現在の地名や道路配置などから、この他にもいくつかの条里水田があったことが推定されていますが、その多くが大井川の洪水の影響を受けにくい場所に位置しています。
また、条里水田の形跡は、牧之原台地に刻まれた谷間の平野(旧榛原町(はいばらちょう)や旧相良町(さがらちょう)の辺り)にもみられるため、同じような地形にある小笠地域でも、この時期の開発があったことは想像に難くありません。大井川平野や小笠地域の開発は、初期の稲作同様、小河川の近くで進められたものと考えられます。
条理水田があったと推定される場所
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