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関東農政局

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さらに詳しく  古墳の分布と稲作

  農耕が伝わると、古代の人々は、それまでの狩りや漁に頼る不安定な生活から、定住して農地を耕す安定した生活へと移り、人口も増え、集団が形成されていきます。集団をまとめるリーダーたちは、次第に大きな権力を持つようになり、時には別の集団と争いながら、より大きな集団(クニ)を形成していきました。そして、クニの支配者たちには、権力の象徴として古墳が作られるようになります。

  当事業地区でも、掛川市で「下山古墳」、「大塚古墳」といった前方後円墳が見つかっています。特に5世紀から6世紀ごろ作られたと考えられている下山古墳(全長112m)は、県内最大の古墳であり、その築造には多くの労働力を動員したことは容易に想像できます。被葬者であるこの地の首長は、それだけ大きな経済基盤、つまり米の生産力を持っていたといえるでしょう。

  掛川市では、この他にも5世紀後半のものといわれる計40基からなる和田岡古墳群が見つかっています。古墳の分布からみても、少なくともこの時代、当事業地区の稲作は小笠地域を中心に進められたものと考えられます。

 

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