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関東農政局

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3.新田開発とため池

大井川平野の新田開発

  駿河国(するがのくに)の農地面積の推移をみると、室町時代の9,150町歩に対し、江戸時代中期は26,626町歩と、三倍近い増加を見せています(注)。江戸時代は、全国各地で新田開発が進んだ時期であり、大井川平野が位置する駿河国でも大きく開墾が進んだことが分かります。

  この時代の新田開発は、土地条件が厳しく、それまであまり手の付けられなかったところ、つまり大河川下流の洪水地帯や湖や海の干拓などが主な対象でした。洪水常襲地帯の大井川平野も無論、条件の厳しい土地。駿河国で開墾された新田のうち、大井川平野が多くを占めたことは間違いのないところでしょう。

  大幅な新田開発を進めるため、大井川には江戸時代を通して、数多くの水門取水口が築かれ、用水路が引かれます。代表的なものでは、田中藩主・水野監物忠善(みずのけんもつただよし)が開削した「監物川」(1604年)、島田三代目代官・長谷川籐兵衛が完成させた「向谷用水」(1645年)があります。籐兵衛は、その後さらに私財を投じて数々の用水路を開削しています。大商人で有名な紀伊国屋文左衛門は「木屋用水」(1690年代)を開削しました。

  この他にも大井川平野には、有名無名の数々の用水路が築かれています。そして、その多くは、昭和の時代までこの平野を潤すことになりました。

注 : 『節用集』(『大地への刻印(発行:全国土地改良事業団体連合会)』より引用)



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江戸時代末期の用水路(島田市内)
(『静岡県土地改良史(「私たちの島田市(島田市教育委員会)」』より)


小笠地域のため池

  詳しい資料は残っていませんが、小笠地域の開墾は、記録に残る石高などから、江戸時代までには一段落していたと考えられています。扱いやすい小河川しかないこの地域では、古代から中世にかけて徐々に開墾がなされたのでしょう。

  しかし、この地域の川は、大きな洪水は少ない代わりに水量も多くありません。戦国時代から江戸時代にかけては、菊川に「加茂用水」や「嶺田(みねだ)用水」といった用水が引かれていますが、決して田畑に十分な量の水を確保できてはいなかったようです。それを証明するように、この地域には、数多くのため池が築かれています。ため池は川の水や山水を、田植えなどで水需要が増える時期まで蓄えておくための施設です。少ない川の水を何とか大地に留め、できる限り効率的に使うための苦心の策といえるのかもしれません。

  小笠地域のため池は、その多くが江戸時代の前半に築かれたものと考えられています。掛川市に存在する『村明細帳(むらさめさいちょう)』には1667年から1668年のわずか1年の間に42カ所のため池が出現したと記され、『小笠郡誌』では江戸時代に築造されたため池が724カ所あったとされています。

 これらのため池もまた、大井川平野の用水路と同様、改修を繰り返しながら、明治以降もこの地を潤し続けることになりました。

 


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ため池の分布(菊川)
提供:国土交通省河川局

  

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