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近畿農政局

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地域の概要

パンフレットを作成しました!

  東播地域における農業の概要や、本事業が東播地域に果たしている役割をまとめたパンフレット(水のめぐみ)を作成しました。以下のリンクからダウンロードできます(「両面・短辺とじ」で印刷したものをページ番号に合うように折っていただければ、冊子になります)。
水のめぐみ(PDF : 2,649KB)

地域の自然

位置と地形

  兵庫県は、北は日本海、南は瀬戸内海に面しています。このうち瀬戸内海側、おおむね六甲山地から西は、旧国名(播磨国)どおり「播磨地方」(注1)と呼ばれています。兵庫県は近畿では突出した面積を持つ県ですが、この播磨地方だけで約4割を占めています。

   播磨国は、畿内と九州大宰府を結ぶ官道(注2)、山陽道の入り口にあたる国でした。8世紀頃の古代日本に全国に7本整備された官道のうち、山陽道は唯一の「大路」。朝廷にとっては最も重要な陸路であり、播磨国はその影響を強く受けてきました。現在は中国自動車道や山陽自動車道、山陽新幹線、東海道本線が通り、中国地方への玄関口となっています。

  播磨はほぼ中央部を境に、東播地方(注3)と西播地方に分けられます。瀬戸内海沿岸に比較的広い平野をもつ西播と、台地(段丘を含む)や丘陵地が入り組んでいる東播。古くから発展してきたのは姫路を中心とする西播地方でした。

   東播用水二期農業水利事業の対象地域は、多くが台地の多い東播地方に位置しており、印南野台地を中心とした「東播用水地区」は、加古川が最も低いところを流れ、東に行くほど土地が高くなっています。

(注1) 播磨(はりま):現在の姫路市、加古川市、高砂市、加西市、三木市、小野市、西脇市、明石市、たつの市、相生市、赤穂市、宍粟市、加東市、神戸市垂水区、西区、須磨区(一部)、北区(一部)、加古郡播磨町、稲美町、多可郡多可町、神崎郡福崎町、市川町、神河町、揖保郡太子町、赤穂郡上郡町、佐用郡佐用町を言う

(注2)  官道(かんどう):国家によって整備・維持管理がなされた道路

(注3)  東播(とうばん):明石市、加古川市、高砂市、加西市、三木市、神戸市の一部、加古郡稲美町等、播磨を東西で分けた際の東側に位置する地域を言う

水利と気候


   東播地方には多くの小河川が流れていますが、そのほとんどが県内最大の河川である加古川に流れ、広大な加古川水系を形成しています。加古川本流、志染川や東条川、美の川などの支流は、それぞれの川沿いに細長い平野をつくっています。

  一方、本事業の対象地域の多くを占める広大な印南野(いなみの)台地では、小さな川が散在しているだけで、川らしい川はなく、きわめて水の便が悪い地域でした。豊富な水量を持つ加古川は、台地の西を流れているため、簡単に水を引くことはできません。標高の高い台地の東や北から水を引こうとすれば、相当長い距離をトンネルなどの水路を建設して導水する必要があるため、この地域の新田開発は、近代までほとんど不可能でした。


  その上、気候は雨の極端に少ない典型的な瀬戸内気候地帯で、かんがい用水はもちろん、飲み水にも不自由するほどの干ばつ常襲地帯でした。年間降水量は1,100mmから1,200mm程度と、日本の平均降水量がおおよそ1,700~1,800mmと比べると、ほぼ6割にしかなりません。そのためここに住んだ農民達は数多くのため池をつくり田畑を開墾してきました。

  現在では兵庫県は全国で最もため池が多く、約38,000個も存在します。今から約2000年前、稲作が行われるようになった弥生時代には、すでにため池が造られていたといわれています。稲美町の天満大池の元となる岡大池は、白鳳3年(675年)に築かれたという記録も残っています。東播地方においてため池は、細々と流れる川の水をできる限り有効に使う重要な役割を持っているのです。

日本有数のため池密度を誇る「印南野台地」
加古大池(兵庫県HP)
  
加古大池 
印南野のため池群
加古大池
(兵庫県で一番大きなため池)

地域の農業


   本地区は、兵庫県南東部に位置し、神戸市外3市1町にまたがる7,313haの農業地帯です。 本地域では水稲、酒米を中心に麦、大豆や野菜を組み合わせた複合経営が営まれているほか、樹園地ではぶどうを中心とした果樹が栽培されており、都市近郊の立地条件を活かした多様な農業が展開されています。
各地域における特徴的な営農状況を以下に紹介していきます。


【東播地域(三木市他)】酒米の王様「山田錦」の産地拡大に向けて

  酒米の王様と呼ばれる山田錦は、全国の生産量の約6割を兵庫県産が占めています。特に三木市は、全国の山田錦の生産量の15%と、兵庫県産の約4分の1を占める県下最大の産地であり、生産量も年々拡大傾向にあります。山田錦は、兵庫県立農事試験場において「山田穂」を母に「短稈渡船」を父として人工交配して生まれました。山田錦の母である「山田穂」は現在ではほとんど栽培されていませんが、その由来は地域によって様々なエピソードがあり、地域の人に愛されていたことをうかがい知ることが出来ます。

  日本の清酒輸出では、神戸港がその4割近くを占めています。平成28年5月に神戸で開催された世界最大規模の日本酒品評会であるIWCでも、山田錦がPRされて国際的な認知度も高まっており、輸出拡大に向けての積極的な取り組みが進められています。

三木市 山田錦の郷紹介HP(外部リンク)

田植えを行うIWC審査員
山田錦の契約田
山田錦の田植え体験を行う
IWC審査委員(H28.5.19)

【神戸市】ワイン専用ぶどうの生産地


  神戸ワインの生産は、当時の神戸市長の「神戸ビーフにあうワインがつくれないか」というアイデアがきっかけでした。前歴の東播用水農業水利事業で造成された農地では、神戸市の気候や土壌条件に適したワイン専用ブドウの栽培が行われており、昭和59年にはワイン造りを主体とした農業公園が開園しました。公園内のワイン醸造施設(神戸ワイナリー)では、ガラス越しにワインづくりの工程の見学をすることが出来ます。また、ワインの販売を行っており、来場者がワインに親しめる施設となっています。

  このほかにも、桃や梨などの果樹栽培も盛んであり、神戸市西区押部谷町の丘陵地帯は西日本でも最大級の果樹団地となっています。

神戸ワイナリーHP(外部リンク)

農業公園 ブドウ畑

【三木市】企業参入による直営農場


  前歴の東播用水農業水利事業で造成された里脇団地では、生産・出荷まで全て従業員が手がけるなど効率の良い農産物の生産や販売を行っている企業の参入による直営農場が農地11haを貸借し、キャベツ、はくさい等の葉物野菜を栽培しています。

  また、直営農場、三木市及び里脇地区協議会では農業振興に関する協定が締結され、周辺農家との連携、雇用促進、地元資材の利用など、3者が協調した地域活性の取組が行われています。

企業と地元による収穫祭 キャベツの栽培状況

【稲美町】地域の特性を生かした「いなみブランド」の推進

  町全体の農地のほとんどが東播用水の受益となる稲美町では、都市近郊型農業を積極的に推進しており、兵庫県最古の天満大池のほとりに平成27年11月に近畿圏最大級の農産物直売所「にじいろふぁ~みん」がオープンしました。

  ここでは稲美町を含む東播磨の3市2町の農産物が直売され、近隣市町の農産物の販売の促進にも貢献しています。また、平成28年度から稲美町のトマトをより多くの方に知ってもらうため、「いなみトマト祭り」をにじいろふぁ~みんで開催しています。

JA兵庫南 にじいろふぁ~みんHP(外部リンク)

地産地消の新たな拠点
「にじいろふぁ~みん」
いなみトマト祭り

【明石市】都市近郊の立地を活かした地域特産品の取組


  消費地に近い好立地を活かし、長年にわたり都市近郊農業が営まれ、葉物野菜を中心とした園芸作物が盛んに栽培されています。特にキャベツ、ブロッコリーは毎年品種比較試験を行う等、地域の気候風土に適した品種の栽培に努めています。また、「清水いちご」は高級品として知られ、スイートコーンやブルーベリーなどの作物も、生産者や農協等が取り組む観光農園や収穫体験イベント等を通じ広く市民の人気を得ています。

明石の地域ブランド
「清水いちご」の観光農園   
スイートコーン収穫体験

【加古川市】優良経営体による農地集積・地域活性化の取り組み


  八幡営農組合は、兵庫県下でも最大規模の広域的な地域農業の担い手組織として、6集落の全農家642戸が参加する農事組合法人として設立され、多くの小規模農家の農地の受け手となり、地域農業の持続的発展に寄与しています。また、地域の女性や高齢者等、幅広い人材を活用した農産加工や生産直売等の地産地消の推進に取り組んでいます。

デュラム小麦の播種状況    八幡営農組合ホームページ


地域の歴史

古代から江戸時代まで


  この地方の南部に位置する印南野(いなみの)台地周辺は、日本有数の小雨地帯であり、近くに大きな河川もなく、水利に乏しい乾燥大地でありました。

  平安時代、この地方の様子を清少納言は枕草子で次のように歌っています。「野は嵯峨野(さがの)、さらなり。印南野。交野。狛野・・・」これは、美しい野原といえば第一に嵯峨野を挙げ、その次に印南野、交野、狛野・・・がつづくという意味の歌です。「野」とは、人の手が入っていない未開の地であると考えられ、水が乏しいため田畑にされることはなく、まったくといって良いほど放置された草原地帯であったことを物語っています。

  古来よりこの地域の人々は様々な手段を用いて稲作を行ってきました。7世紀に入ると、聖徳太子によって作られたとされる日本最古の取水施設である五ヶ井が築造され、7世紀中頃になると岡の大池や入之池などのため池が作られるようになりました。しかし、大きなため池を作ることや川より高い台地へ水を引くことは当時の技術では不可能であったため、全ての地域において十分な水の供給を受けることは出来ませんでした。

兵庫県最古のため池「天満大池」(ため池百選)

  江戸時代になると、かんがい技術の発達によりさらにため池の数が増えていきました。また、水稲栽培に比べて使用水量の少ない畑作も多く営農されるようになり、特に綿が最も重視されました。水不足で稲作には不適な土地においては、換金をすることの出来る綿は米に匹敵する重要な作物となっていきました。

  しかし、大きな河川がないことから営農への安定した水供給は叶わないままであり、干ばつによる凶作などから水争いも頻繁に起こっていました。様々な障害を乗り越え、さらなる水源を求めて北の淡河川から水を引くため、1771年には大がかりな実施測量を行いましたが、工事規模の膨大さと資金難、当時の技術から不可能とされてしまいました。

淡河川・山田川疏水事業


  明治時代に入るとこの地域に大きな不幸が訪れます。外国から安価な綿花が輸入されるようになり、綿花を栽培する農家の生計が苦しくなりました。また、1878年(明治11年)の地租改正が実施された際には、この地域では従来2円~3円でも買い手のつかない土地に23円もの地租評価額が下り、税金が一気に2倍にも3倍にもふくれあがりました。江戸後期から明治初年まで続いた凶作も相まって、地域で水田が営農できる状況を作ることが喫緊の最重要課題となりました。

淡河川・山田川開発の背景(水土の礎)

  当時の野寺村の総代であった魚住完治(うおずみかんじ)が発起人となり、山田川からの疏水を作るための測量を行いました。その後国や県からの援助を元に測量をしたところ、地盤が悪く、工事費も高くなるため、淡河(おうご)川からの取水に切り替え、1888年より魚住が監督となって工事を進め、淡河川疏水を完成させました。

  疏水の成功により新田が増え、さらなる水不足となったため、当初魚住が計画していた山田川疏水の造成にも着手し、1919年に淡河川・山田川疏水事業が完成しました。この疏水事業で造成された御坂サイフォンの設計を行ったのは、当時内務省土木局名誉顧問であり、横浜市水道の設計・監督も務めた経歴のあるパーマー少将でした。

淡河川・山田側疏水の祖魚住完治
御坂サイフォンを設計したパーマー
淡河川・山田川疏水事業の概要  淡河川・山田川疏水の水利ネットワークや施設群がつくりだした風景は、平成18年には「疏水百選(農林水産省)」に選定され、平成26年には歴史的・社会的価値のあるかんがい施設として、国際かんがい排水委員会(ICID)により、「世界かんがい施設遺産」に登録されています。


国営東播用水農業水利事業


  二つの疏水には、江戸時代に引かれた水路と同様、かんがい時期に、水を引けないという制約がありました。そのため、この時期にも多くのため池がつくられています。しかし冬場に雨が少ないという気候条件もあり、新規の水源を得てもため池に依存する水利体系は不安定な面を含んでいました。

  印南野台地では、昭和4年、山田川疏水から安定した水を確保するため、川を堰きとめて水を溜めた小さなダム・山田池を築造しています。当時、山田池は、水不足を解消する最後の手段と考えられていましたが、結果として水不足は解消されず、根本的な解決には至りませんでした。

  戦後、食料増産が国の緊急課題となると、日本各地で大規模な農業水利事業が続々と行なわれるようになり、この地域でも農業用水の新たな開発への要望がさらに高まりました。また、昭和30年代以降の人口増加に伴う水道用水不足の問題も表面化していました。そのため、安定的な東播地域における水利体系の構築のためには、加古川水系全体に及ぶ抜本的な見直しが必要でした。

  こうして、壮大な水利ネットワーク事業ともいうべき、東播用水農業水利事業が行なわれることになりました。 東播地方の河川の支流は、いずれも自己流量が少なく、このことが慢性的水不足の原因となっていました。したがって、水量を確保するダムの築造においては、複数の支流からトンネル導水をすることで、集水域を広げていく必要があります。そこで、ダムとダムをつなぎ、さらに下流にてダムを建設して加古川水系全体で有機的に水源を確保するという複雑かつ高度な水利システムを構築する計画を立てました。

  事業は昭和45年に着手され、印南野台地とその周辺地域の約8000haの開発を行いました。水源を確保するため、加古川のはるか上流、篠山市にて加古川の流れをせき止めて(川代ダム)、そこから東条川の大川瀬ダムに導水(13.4km)、さらに大川瀬ダムから三木市吉川町周辺の農地を潤しながら、延々22.7kmの導水路にて山田川に築いた呑吐ダムと連結し、9kmの導水路によってようやく用水が印南野台地に達するというものでした。総延長約45kmに及ぶ壮大な水利ネットワークを形成するこの歴史的大事業は、平成4年度に完成しました。
国営東播用水農業水利事業の概要
 

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お問合せ先

東播用水二期農業水利事業所

住所:651-2304 神戸市西区神出町小束野30-19
電話:078-965-1246
FAX:078-965-1248