大阿太(おおあだ)高原の開墾、梨の栽培をはじめて約110年
伝統が次の100年を創る「大淀町果樹組合」
大阿太高原の梨の栽培の歴史は古く、明治10年頃から開墾がはじまり、明治35年頃から二十世紀梨(当時は凱歌(かちどき)梨と命名)の栽培が始まりました。 大阿太高原は標高150~200メートルにある丘陵地帯で、昼夜の温度差が大きく果樹栽培に適した気候です。土質は強粘土質で、見た目には赤土とよばれる色でミネラル分を多く含み、梨の糖度を高める要因となっています。 大淀町果樹組合(組合長 中元安則)は、昭和42年に栽培技術の向上や販売用資材の購入等を目的に、佐名伝地区と薬水地区が共同で設立し、組合員数は現在44名です。 収穫時期を迎える8月末には、直売所で販売される梨を求めて産地を訪れる顧客が年々増加し、味が良いと人気を得ています。毎年9月には、こだわりの味を多くの人に知ってもらい、好みの梨に出会ってもらうことを目的に「大阿太高原スタンプラリー」の催しを開催します。 (取材・撮影:平成29年6月及び8月) |
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園内の様子 |
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梨の栽培について説明する中元組合長
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収穫期を迎えた梨(幸水) |
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組合の活動や今後の抱負について語る (平成29年6月撮影) |
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組合で作成した (画像提供:大淀町果樹組合) |
「大淀町果樹組合」のホームページ
http://www.ooyodo-kajukumiai.com/
お問合せ先
奈良県拠点電話:0742-32-1870
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