このページの本文へ移動

九州農政局

メニュー

沖永良部島のなりたち

 Home沖永良部島について  沖永良部島の農業

 沖永良部農業水利事業とは 環境配慮への取組 出前講座のご案内

 キッズコーナー よくある質問 事業所案内

添付資料

地質

琉球石灰岩    沖永良部島は、琉球石灰岩に覆われた隆起珊瑚礁の島です。

    石灰岩は隙間が多く水が浸透しやすいため、雨水や地下水による浸食作用を受けて、鍾乳洞(県指定天然記念物の昇竜洞など)が形成されています。

    本島の地表水はわずかしかなく、河川は二級河川の余多川、奥川、石橋川の3河川のみです。

    その一方で、浸透した水の一部は湧水や暗川(くらごう)注)となり、これらを中心に集落が発達してきました。知名町瀬利覚(せりかく)地区にあるジッキョヌホーは「平成の名水百選」に選定されており、現在も昔と変わらず、地区のシンボルとなっています。

注)暗川:地下を流れる川のこと。鍾乳洞の一部に穴が開くことによってできる。沖永良部の人々は昔、暗川を唯一の水飲み場や洗濯場として利用していた。

 

昇竜洞

ジッキョヌホー(平成の名水百選)

昇竜洞

ジッキョヌホー(平成の名水百選)

「平成の名水百選」(環境省のホームページ)へのリンク

「平成の名水百選」(ジッキョヌホー)(鹿児島県のホームページ)へのリンク

ページトップへ

歴史

年代

沖永良部島の歴史

主な出来事

約1万年前(縄文時代) 定住が遺跡より確認 移動生活から定住生活への移行 
14世紀(三山(北山)時代) 琉球北山王の子『世之主(よのぬし)』が統治 南北朝・室町時代(室町幕府のはじまり)
15世紀(琉球王国時代) 琉球王国の一部となる 室町時代中期(応仁の乱など)
1609年 薩摩藩が侵攻し、統治(薩摩藩直轄領時代) 1603年江戸幕府成立(江戸時代)
1945年 第二次世界大戦後、沖縄と共に米軍統治下へ 第二次世界大戦終結
1953年 奄美の日本復帰 1952年サンフランシスコ平和条約締結

 

中甫(なかふ)洞窟遺跡(縄文時代)

世之主(よのぬし)の墓(14世紀)

中甫(なかふ)洞窟遺跡(縄文時代)

世之主(よのぬし)の墓

西郷隆盛と沖永良部

    明治維新の大業を成し遂げた偉人の一人、西郷隆盛は1862年、薩摩藩主忠義の父、久光の怒りに触れ、沖永良部島に遠島流罪となり、1864年までの約1年半もの間、牢生活を送りました。その間、「敬天愛人」の思想のもと地域の子弟の教育に尽力し、多くの優れた人材を輩出しました。

 

南洲神社の西郷隆盛像

「敬天愛人発祥の地」石碑

南洲神社の西郷隆盛像

「敬天愛人発祥の地」石碑

ページトップへ

 

もどる沖永良部島について

Home

沖永良部島の農業次へ

関係機関のホームページ

 和泊町のホームページ 知名町のホームページへ 鹿児島県のホームページ みどりネット鹿児島のホームページ

お問合せ先

沖永良部農業水利事業所

〒891-9214   鹿児島県大島郡知名町知名85番地

Tel 0997-93-1850   Fax 0997-93-0408