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中国四国農政局

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    2. 島根県 大梶七兵衛(おおかじしちべえ)

    【生没年:1621年(元和7)~1689年(元禄2)】

    江戸時代始めの1621年、現在の出雲市古志(こし)町の豪農の家に生まれた大梶七兵衛は、荒木浜(あらきはま)における植林、高瀬川の開削など、出雲平野の開発に尽力した人物です。

    神戸川河口付近の荒木浜(出雲市大社(たいしゃ)町)は、海から吹き付ける強い西風のため、作物ができず、自然のままの荒地となっていました。七兵衛は、私財を投げ打ち、この地の開発に取り組みました。

    まず、砂丘には、風を防ぐための一大防風林・砂防林(「八通松林」)が築かれ、これは、後に180ヘクタールにもなる沃野の基礎となりました。開拓が進み、水不足が生じてくると、七兵衛は藩の命を受け、斐伊川(ひいかわ)から取水する用水路の開削に取り組みます。荒木浜は、砂地で水が地面に吸い込まれてしまうため、川床には、むしろを敷き、粘土で固めて水が漏れないようにしました。こうして、川幅約6メートル、全長約8キロメートルの大用水路(高瀬川)ができあがり、この水路は、かんがい用水にとどまらず、高瀬舟を浮かべた物資の輸送路としても大活躍しました。

    この他にも、洪水の被害が生じていた神西湖(じんざいこ)の水を日本海へと流す差海川(さしみがわ)の開削や、南部の古志知井宮(こしちいみや)での十間川(じっけんがわ)の開削など、七兵衛の果たした功績は計り知れません。

    【写真】大梶七兵衛の銅像
    大梶七兵衛の銅像
    写真提供:島根県農村整備課

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