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中国四国農政局

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那賀川農地防災事業所

コラム―銅鐸

中国の銅鈴が起源とも言われますが、中国には類似するものも見つかっておらず、銅鐸は日本で独自に発達したものとされています。

この銅鐸は、1世紀末頃から大型化し、現在までに約500個が見つかっており、中でも滋賀県野洲(やす)町からは高さ134.7cm、重さ45.5kgのものが発見されています(日本最大)。

この大型化した銅鐸には、近畿式と三遠式(さんえんしき)の二種があり、取っ手の形状がやや異なります。

銅鐸は、近畿式が近畿一帯を中心として、東は遠江(とおとうみ)、西は四国・中国まで広く分布し、三遠式は、東は信濃(しなの)・遠江、西は濃尾(のうび)平野に多く見られます。2世紀末になると三遠式は姿を消します。近畿式はさらに大型化しますが、3世紀になると突然造られなくなります。

  • 同じ時代に作られた青銅鏡と違って銅鐸には1文字も書かれていない。
  • 『古事記』、『日本書紀』、『魏志倭人伝』などにも記録がない。
  • 出土は、山間や谷間からの単品がほとんどであり、古墳からは出土しない。
  • どうして山間や谷間に埋めたのか理由が分かっていない。
  • 銅鐸の用途が不明である(おそらくは鐘(かね)や鈴のように使用されたと考えられる)。
  • 銅はどのようにして手に入れたのか。
  • なぜ3世紀になると突然姿を消したのか。

など、銅鐸には多くの謎が残されており、古代史解明の鍵を握っています。

【写真】阿南市から出土した銅鐸(伝長者ヶ原2号銅鐸)

阿南市から出土した銅鐸(伝長者ガ原2号銅鐸)

写真提供:徳島県立博物館

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那賀川農地防災事業所
〒774-0013
徳島県阿南市日開野町西居内456
TEL:0884-23-3833