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関東農政局

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赤城西麓地区の歴史

昭和初期(赤城開墾事業)

この地域は、水利に恵まれず、飲料水さえも馬の背に樽を積んで運ばなければならないという厳しい中で、明治時代にも、赤城大沼から引水して開墾を進めようという計画が何度か懇願されていました。昭和初期になって、この地域に用水を引く計画がもちあがりました。これが赤城開墾用水というものです。
赤城開墾事業は、昭和7年~9年に実施され、この地域の水利事業としては、最も本格的なものでした。戦争のため成果を上げられず飲雑料水として、わずかに利用された程度でしたが、戦後の畑地かんがい事業の前史的役割の一端を果たしたものといえます。

戦後の様子

終戦後の緊急開拓事業実施要領に基づき、本地域においても、代表的な赤城北麓地区を始め、生瀬・貝野瀬、南原、栄、硯石、西大河原等の地区の開拓が急速に進められました。しかし、生活に不可欠な飲料水には恵まれず、農家の苦労は並大抵のものではありませんでした。貯水所が十二様の前に今もありますが、その当時は傷みがひどく水が出ておらず、朝起きると第一の仕事は水くみでした。
その当時の水不足の様子は、開拓者の手記によく表れています。「(中略)朝晩の水くみが何よりも大事でした。水くみ舞台が水を作り営林署の苗圃や出入(イデリ:湧水)、長者久保と思い思いに出向くのです。21年8月竹樋で水を引くことができました。」


    
昭和初期の水くみの様子                              長者久保の井口(貯水所)


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