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関東農政局

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ぐるぐるディクショナリー


「ぐるぐる委員会」は、「農」のことを調べるのが大好きな3人(匹)組み。
一万年以上生きていて歴史に詳しい?「パッカ」。土の中にもぐれて自然に詳しい「ぐりドリラー」。アメリカ生まれだけど日本の農が大好きな「ザリー」。3匹が「農」に関わる難しい用語を解説するぞ!

あ行か行さ行た行な行は行ま行や行ら行


あ行

語句 読み 解説


畦畔
あぜ
けいはん
田んぼには水がたまっているでしょ。どうして水がたまるかっていうと、まわりを小さな土手で囲っているからなの。その土手のことを畦(あぜ)っていうの。田んぼと田んぼの境界にもなるし、その上を歩いたりできるでしょ(あぜ道)。畦と書いたり、畔と書いたり、畦畔(けいはん)と書いたりするのよ。
一之宮
(一の宮)
いちのみや 一之宮っていうのはね、その地域で一番格式(かくしき)の高い神社なの。格式って分かる?ザリーみたいにセレブってことよ、オホホホ。
営農 えいのう 農家の人は自分で食べるものも作るけど、米や野菜なんかをたくさん作って売ったりするだろ。鶏を飼って卵を売ったり、牛を育てて売ったりする人もいる。そうやって農業を経営するすることを営農っていうのさ。
蝦夷 えぞ(えみし) 大むかし、日本にはいろんな部族(グループ)がいたらしい。で、ヤマト(奈良)の部族が力をつけて他の部族をやっつけたり、手を結んだりして大きくなっていったわけだ(ほら、聖徳太子はそのヤマトの王子だ)。今の日本のもとになるクニだな。でも、その頃はまだヤマト朝廷(ちょうてい)の力は日本の西半分だけだった。北陸とか関東とか、東北や北海道には朝廷に従わない部族もたくさんいた。そういう人たちのことを蝦夷(えみし)と呼んでいたってことよ。彼らはだんだん北に追いやられていった。それで、最後まで残った北海道を蝦夷(えぞ)と呼ぶようになったんじゃないかな。
沿岸潮流 えんがんちょうりゅう 沿岸というのは海でも陸地や岸に近いところさ。そういうところには、普通の海流と違った潮の流れができるんだ。川でも岸の近くだとウズを巻いたり、逆流したりするだろ。ああいうふうに、沿岸で発生する潮の流れのことよ。これで砂浜ができたり、岩がえぐられたりするのさ。
親潮 おやしお
ボクは泳ぐのが好きだけど、海は苦手だな。だって塩っからいもん。親潮っていうのはとくに塩っからい。北の寒い海から千葉県あたりまで流れてくる海流(かいりゅう)のことさ。栄養がいっぱいあって、お魚さんがいっぱいいるんだよ。魚をたくさん育てるから親潮っていうんじゃないかなあ。南の島から日本に流れてくる海流は、黒潮(くろしお)っていう。海の色が黒っぽいんだって。


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か行

語句 読み 解説
海岸平野 かいがんへいや 海岸平野って、海岸のそばにある平野のことだと思うでしょ?・・・ブー!ブー!ザンネンでした。正解は、大昔は海だったところが陸地になった平野のことです。なんで陸地になったかって?・・・それは、つまり、地球の運動で地面が盛り上がったり、海の水面が低くなったりして、だんだん陸地が現れてきたってことさ。だから、海岸平野の低いところには海の水が残った湖があったりするんだ(潟湖(せきこ)も読んでね)。
開墾
新田開発
かいこん
しんでんかいはつ
開墾っていうのは、森とか原野とか草ぼうぼうで荒地だったところを、一生けんめい耕して、田畑につくりかえることよ。新しい田んぼをつくることを新田開発っていうの。新田開発は、どこからか水を引いてこなきゃいけないから、水路も作らなきゃいけないのよ。
開削
掘削
かいさく
くっさく
道路や運河、水路をつくるために、地面を掘ったり、岩があったりしたら削ったりすることを言うわよ。水路をつくるためには、岩に穴をあけたりしなきゃいけないこともあって、昔はケガ人がでるくらいたいへんな仕事だったのよ。
貝塚 かいづか 貝塚っていうのは、大むかしの人が貝を食べて、その貝ガラを捨てたところさ。ま、一種のゴミ捨て場だな。縄文(じょうもん)時代のものが多いらしい。貝ガラはくさらないだろ。だから今まで残ったんだ。1mくらいの山になったり、土の中にギッシリつまって層(そう)になっているところもある。貝塚の中には魚の骨とか石器とか土器なんかも捨てられていたりして、昔の人の生活を知るためには大切な遺跡(いせき)なのさ。
河岸段丘 かがんだんきゅう

えーと、困ったわ。説明がむずかしい。とりあえず写真を見てよ。真ん中より少し下に川が流れているでしょ。その上に平行して二本の緑の帯が見えるじゃない。この二本の緑の帯は10mくらい高いガケになってるの。つまり、川に平行してできる階段状の地形と言えば分かるかな。川に平行して1段目の平地があって、その上に2段目の平たい台地が続いて、さらに3段目も平坦な高台になっているの。こういう段々になった地形を段丘と言うの。川の流れがつくった段丘は河岸段丘、海がつくったものを海岸段丘って言うらしいわ。

河床 かしょう 「かしょう」「かわどこ」って読むの。川の床(ゆか)、つまり底のことよね。普通は石っころでいっぱいだけど、大水が出ると川底の石も流されて低くなったりするの。そうすると川の水面も低くなるでしょ。水面が水路の取水口(しゅすいぐち)に届かなくなったりするの。逆に石がいっぱい流されてきて川底が高くなると、水面も高くなり、川は堤防からあふれやすくなるでしょ。だから、川の管理にとって河床の変化は大切な意味を持つのよ。
灌漑
畑地かんがい
かんがい ダメだ。オレ、この字、書けないよ。でも、意味はカンタンさ。農作物に水をやること。田んぼに水を引くことを「かんがい」て言うんだ。畑にポンプで水をまくのは「畑地かんがい」。でも、どうしてこんなムズカシイ漢字を書くんだい?水やりって言えばいいじゃん。
干拓 かんたく 海とか湖とか沼地を陸地にして農地や工場用地などにすることよ。でも、「埋め立て」とは違うんだぜ。埋め立てはよそから土やジャリを持ってきて、地面を高くするんだ。でも、「干拓」は海や湖を堤防で仕切って、中にたまっている水を捨てちゃうのさ。だから、干拓地は海の水面より低くなったまんまなんだ。沼の干拓地なんかでは自然と水が集まってくるから、ポンプで水を外へ捨ててんだよ。日本は干拓によって戦後からでも、53万ha、つまり愛知県の広さ以上の土地を広げてきたのさ。すごいよね。
関東流 かんとうりゅう 江戸時代のころ、治水(ちすい)、つまり川をコントロールする方法は途中でかわったんだよ。はじめの頃は、川の流れはそのままにして、堤防(ていぼう)もところどころだけ。わざと川の水があふれるような仕組みにして、遊水池(ゆうすいち)をつくったりした。この工事の方法を伊奈流(いなりゅう)とか関東流(かんとうりゅう)とかって呼ぶのさ。山梨県には武田信玄(たけだしんげん)というものすごく強い大名がいてさ、彼は強いだけでなく、土木工事の名人だったんだ。その信玄の部下だった伊奈備前守(いなびぜんのかみ)というオジサンが徳川家に引き取られ、幕府のエライさんになった。それで、伊奈の一族は利根川の工事をやったり、たくさんのをつくったりしたんだ。だからこの一族の名前を取って「伊奈流」っていうんだよ。江戸に流れていた利根川を霞ヶ浦のほうへ瀬替え(せがえ)したのもこの伊奈のオジサンだよ。そのやり方が、途中で変わって、こんどは紀州流(きしゅうりゅう)になるんだ。関東流は、紀州流に比べて、自然の流れを上手にうけいれる方法だったといえるね!
干ばつ(旱魃)
渇水
かんばつ
かっすい
「干ばつ」ってのは、稲や野菜が枯れてしまうくらい雨のふらない日が長く続くことで、「渇水(かっすい)」とも言うよ。川の水が少なくなって水路から引くことができなくなり、田んぼにヒビが入るくらいカラカラに乾いちゃうんだ。そうすると1年の収穫がパーになるので、村どうし、少しでも多く水を引こうとしてケンカになる。「水争い(みずあらそい)」ってやつさ。ボクも日照りが続くと頭のサラが乾いてしまって、だんだんアタマがパーになります。
地下水涵養
(涵養)
ちかすいかんよう
(かんよう)
山には木がたくさんあったり、地面も枯葉や枯草でフカフカしてるから、雨はゆっくりゆっくり土の中にしみこんでゆくの。この地中の水は地下水になったり、谷へ流れ込んだりして川になるの。雨の降らない日が何日続いても川の水がなくならないのは、こういうふうに山が水を育てているからなのよ。こういう雨や川の水が徐々に地中にしみ込み、地下の水を育てるはたらきを「地下水涵養(ちかすいかんよう)」って言うのよ。山だけじゃなくて、田んぼや畑も同じはたらきをするわ。
紀州流 きしゅうりゅう ハイ、関東流に続いて、こんどは紀州流(きしゅうりゅう)のお勉強です。あのね、関東流とか紀州流の「流(りゅう)」って、流派(りゅうは)のことだよ。・・・泳ぎはパッカ流が最高だって知ってるよね。あはは。・・・では始めます。江戸時代の中ごろ、いろいろあって、紀州(きしゅう)の徳川さんが将軍(しょうぐん)になったのです。紀州ってのは今の和歌山県(わかやまけん)です。ここには暴(あば)れ川として有名な紀ノ川(きのかわ)が流れていて、ここも治水(ちすい)の工事がさかんだったところなのです。とくに、井沢為永(いさわためなが)ってオジサンは土木の名人で、これまでの伊奈家(いなけ)に代って、関東の治水をやることになったのです。井沢オジサンは利根川の流れをなるべく真っ直ぐにして川を丈夫な堤防で囲っちゃったの。遊水池もやめちゃったのさ。つまり、できるだけ早く川の水を海へ流してしまうやり方です。だから、今まで水があふれていたところが田んぼになったので、田んぼの面積が増えたんだ。今の関東平野にある見沼代用水(みぬまだいようすい)も、この井沢オジサンのアイデアだと思うよ。川も直線になり、深くしたので舟運(しゅううん)にも利用できるようになったのです。これが紀州からやってきた工事のやり方ということで紀州流と呼ばれたのです。関東流と紀州流、どっちがいいかってことより、工事の技術が進歩したり、人口が増えて田んぼや舟運が必要になったから、そういうやり方に変わっていったんだと思うな。・・・・ふー!これ調べるのたいへんだったよ。さあ、オヤツだ、オヤツだ!
寄進 きしん 神社や寺院にお金とか品物なんかを寄付することよ。
季節風 きせつふう 「モンスーン」って学校で習った?「季節風」と同じ意味よ。季節風っていうのは、季節によって向きを変える風のこと。だいたい、冬は大陸の方から海に向かって吹くし、夏は海から大陸に向かって吹くパターンが多いの。アジア・モンスーンって聞いたことあるでしょ?東南アジアでは雨季(雨の続く季節)、乾期(雨の降らない季節)があるの。日本も雨は夏に多くて、冬は少ないでしょ。ジメジメした梅雨(つゆ)の季節もこのアジア・モンスーンのせいなの。梅雨は、私は嫌いだけど、稲が育つためには大切なのよ。だから、アジア・モンスーン地帯には田んぼをつくっているところが多いの。
旧国名
昔の国名
きゅうこくめい
これ、カンタンそうで、むずかしいぞ。昔の日本は60以上の国に分かれていたんだ。今の都道府県(とどうふけん)はぜんぶで47だよね。だから、県よりもこまかく分かれていたんだ。たとえば関東農政局の範囲は茨城(いばらき)・栃木(とちぎ)・群馬(ぐんま)・埼玉(さいたま)・千葉(ちば)・東京(とうきょう)・神奈川(かながわ)・山梨(やまなし)・長野(ながの)・静岡(しずおか)なんだけど、これを昔の国名で言うと、茨城が常陸(ひたち)、栃木が下野(しもつけ)、群馬が上野(こうづけ)、埼玉と東京が武蔵(むさし)、千葉が上総(かずさ)と下総(しもうさ)と安房(あわ)、神奈川が相模(さがみ)、山梨が甲斐(かい)、長野が信濃(しなの)、静岡が駿河(するが)と遠江(とおとうみ)と伊豆(いず)だったんだ・・・・ああ、漢字はむずかしいなあ。明治時代になって、今の県になったんだ。
国造 くにのみやつこ えー、この言葉、古すぎるよー!奈良時代の初めのころだよ。日本はいくつかの県に分かれているでしょ?昔は、武蔵(むさし)の国とか上総(かずさ)の国とかに分かれていたんだ。だから、その古い国のエライ様。今の県知事みたいなお仕事をしてたんじゃないかな。でも、この「国造」は大化の改新でやめになったんだってさ。
黒潮 くろしお
黒潮っていうのは、南のフィリピンの方から流れてくる海流で、少し暖かいから暖流(だんりゅう)とも呼ばれている。なんで黒潮かっていうと、本当に海の色が黒いんだ。まあ、実際には濃い紺色(こんいろ)だけどね。この黒潮は流れが強くて、四国あたりから千葉県くらいまで、舟で行けば、あっという間に着いちゃうんだ。だから、沖縄とか南九州、四国の高知県、和歌山県、千葉県なんかは昔から交流が盛んで、風土や風習が似ているらしい。黒潮文化圏(くろしおぶんかけん)なんて言う人もいるよ。地域の歴史には潮の流れも関係してくるってことよ。
豪族
土豪
ごうぞく
どごう
大むかし、地方で力をもっていたリッチな一族のことです。ほら、古墳(こふん)とかはみんな豪族(ごうぞく)のお墓(はか)なんだ。奈良時代には、いちおう大和朝廷(やまとちょうてい)という国の仕組みができて、中央のお役人が支配しはじめるけど、そういう役所の地位にはついてないない人の中にも、地方には無視できないくらいの力をもったお金持ちの家がいっぱいあったんだ。そういう人を、地方の豪族(ごうぞく)とか土豪(どごう)って言ったんだよ。
高度経済成長
(高度成長)
こうどけいざい
せいちょう
(こうどせいちょう)
日本は世界大戦で負けたけど、立ち直りも早かったんだぜ。戦後の昭和35年頃から急に景気が良くなりはじめて、どんどん、どんどん豊かな国になっていったんだ。これには世界中の人が驚いて、「世界の奇跡(きせき)」とまで言われたもんさ。日本は20年間も成長を続けた。この経済の成長のことを「高度経済成長」っていうのさ。昭和35年頃から49年頃までの期間を「高度経済成長期」とも言う。テストにでるから覚えときな。
護岸 ごがん 川の岸とか海に面した土地は、はげしく水がぶつかるから、どうしても傷みやすいのです。だから、堤防をつくったり、ブロックを張ったりして崩(くず)れないようにすることを「護岸」って言うのです。岸を護(まも)る施設のことだと、工事のオジサンから聞きました。
国司 こくし あー、「国造(くにのみやつこ)」に続いて、またまた古い言葉だ。ボク、1万年も生きてるから思い出すの大変なんだよ。国司ってのは、要するに地方の役人、エライ様。今でいえば県知事みたいなもの。できたのは奈良時代の頃だけど、ほら、時代劇に安房守(あわのかみ)とか上総介(かずさのすけ)とかでてくるでしょ。あれも、この古い時代からの呼び名なんだってさ。
石高 こくだか 「いしだか」って読んだでしょ?・・・ザンネン、「こくだか」って読むんだ。江戸時代の日本はたくさんの藩に分かれていて、大きい藩もあれば、ザリーくらいちっちゃい藩もあったんだよ。では、ここで問題。その大きい小さいはどうやって決めたんだろう?銀行預金(ぎんこうよきん)?・・・ブー!江戸時代には銀行はありません。領地の広さ?・・・・うーん、おしい。いくら領地が広くても山や沼ばっかりだったら大きな藩とはいえないよ。・・・・農地?ピポ、ピポ、ピンポーン!そう。農地の広さ、お米のとれる量できめたのです。一石(いっこく)っていうのは、だいたい昔の人が1年間に食べたお米の量(約150kg)。だから、50万石っていったら、50万人が暮らせるくらいのお米がとれる藩という感じかな。そういうのを石高って言ったんだ。・・・え?ボクの石高?・・・あはは、0.000001石。
湖沼 こしょう ホホホ、そのまんまね。湖と沼のことよ。「こしょう」って読むの。でもキミ、湖と沼の違い、知ってる?・・・あのね、深くて岸に生えている植物が侵入してこないところは湖。浅くて、いろんな水生植物が生えているところが沼。まあ、深さの違いってことかな。
古墳
前方後円墳
こふん
ぜんぽうこうえんふん
古墳っていうのは、昔、そうね飛鳥(あすか)時代の前だから、4~6世紀の頃のお墓のことよ。大きな丸い山になっているのもあれば、丸い山と四角い山が一緒になったのもあるわ。その形によって、円墳(えんぷん)・方墳(ほうふん)・前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)・前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)なんて種類があるの。こういう大きなお墓をつくれる人はとうぜんリッチというか、地方のリーダーだったわけよね。関西の堺市にある仁徳天皇陵(にんとくてんのうりょう)は世界最大の古墳なのよ。関東では埼玉県にある「さきたま古墳群」がすばらしいわよ。今度、おウチの人に連れてってもらえば?


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さ行

語句 読み 解説
サイホン さいほん
サイホンって知ってるよな。理科の実験でやった人もいるはずだぜ。コップにストローをUの字に曲げて入れて、水を出すやつ。あれと同じ原理が、水路の工事でも使われてんだぜ。図を見てくれ。このデッカイ谷間に橋を渡すのはムズカシイし、金もかかる。そんなことしなくても、図のようにサイホンの仕組みを使えば簡単なのさ。
砂丘 さきゅう 砂丘ってのは、砂でできた丘のことだけど、デコボコは風がつくるんだ。つまり、海岸の砂浜にある砂が風で運ばれて、シマ模様をつくったりする。日本の東海岸は風が弱いから大きな砂丘はできないけど、鳥取県の鳥取砂丘は砂漠(さばく)みたいだったよ。千葉県の九十九里浜の砂丘は20~60cmくらいの高さだけど長い帯みたいに何本もつながってんだ。
砂礫 されき 砂礫ってのは、砂と小石のこと。礫(れき)って小さい石ころのことよ。なんで砂礫なんてことが大切かっていうと、普通の土と違って、砂や石でできた土地は水がしみこんじゃうでしょ。だから、こういう砂礫の土地は水路をつくるにも、田んぼにするのも難しいってわけ。
施設園芸 しせつえんげい 温室とかハウスなどの施設を使って作物を育てることさ。雨に弱い作物なんかいいよな。水やりとか温度の管理が自由にできるから季節はずれの野菜をつくったり、花を育てたりするのに向いている。まあ、お金もかかるらしいけど。
自然堤防 しぜんていぼう 川っていうのはね、今みたいに決まったところを流れてたんじゃなくて、大むかしは大雨のたびにあふれて、あちこちデタラメに流れていたの。だけど、川は洪水のときたくさんの土砂も運んでくるから、それが川の両側にたまって、だんだん堤防みたいに大きくなっていくの。だから川の流れも、その堤防に挟まれてだんだん同じところを流れるようになってくるの。そういう自然にできる堤防みたいな長い丘のことを自然堤防って言うの。川の下流の方に多くあるのよ。
湿地帯(湿地)
湿原
低湿地
しっちたい(しっち)
しつげん
ていしっち
いつもジメジメ、ベタベタしてて、湿気が多い土地のことを湿地(しっち)というのさ。それが広い範囲にわたっていると湿地帯(しっちたい)。低湿地(ていしっち)っていうのは土地が低くてジメジメしたところ。湿原(しつげん)というのは沼に近いな。沼ほど水は多くないけど、歩くとクツがぐっしょりぬれてしまうくらい水がたまったところ。湿原には水バショウとかミズゴケとか湿原特有の植物が生えてんだ。水鳥や渡り鳥もいっぱいいるぜ。
舟運 しゅううん 船で移動したり、荷物を運んだりすることです。ようするに、川とか海とかを道路のかわりに使うこと。だから、陸運(りくうん)は鉄道とか普通の道路を使うんだ。昔は鉄道もなかったし、車もなかったから、重い荷物をはこぶ時は舟の方が多かったんだ。だって、川や海には信号もないし、山もないから楽だよね。ボクも歩くより泳ぐ方が得意だよ。
宿場 しゅくば
宿場ってのは宿屋(やどや:旅館)がたくさんあったところのことだよ。ほら、「東海道53次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)」って聞いたことあるでしょ。あれは、江戸(東京)と京(京都)をむすぶ道には53か所の宿場があったってことさ。だいたい5~10kmぐらい離れたところに点々と宿場町があったんだ。昔は、馬に乗った人も多かったから、馬を泊める宿屋もあったんだよ。宿場町は通りぞいに明るい提灯(ちょうちん)がいっぱい並んでいて、お茶屋があったり芸者さんもいたりして、すごくにぎやかな町だったんだ。今も長野県には、妻籠宿(つまごじゅく)、奈良井宿(ならいじゅく)、海野宿(うんのじゅく)とか昔のまんまの宿場町が残っているよ。
守護 しゅご ほら、また古い役人の話だ。えーと、たしか守護(しゅご)って鎌倉幕府(かまくらばくふ)のお役人だったっけ。まあ、鎌倉や室町時代(むろまちじだい)のお侍(さむらい)さん系の県知事だと思えば、それほど間違っていないよ。守護はだんだん力をつけて、その国を支配する戦国大名になっていったりしたんだ。
浚渫 しゅんせつ この漢字もムズカシイなあ。浚渫ってのは、海や川の底を掘って深くすること。なんでそんなことするかっていうと、川の底に土砂がたまって浅くなると、それだけ水面が高くなって、堤防からあふれやすくなるだろ。川の下流は土砂がたまって洪水になりやすいんだ。だから浚渫するのさ。海のばあいは、船の底があたらないように掘るって聞いたこともあるな。
荘園 しょうえん これはよく知ってるよ。大化(たいか)の改新(かいしん)とか公地公民(こうちこうみん)って言葉は、みんなも学校の授業で習うと思うけど、大化の改新のときに、全国の農地は朝廷のものになって、全国民に一定の農地が配られたんだ。でも、農地はだんだん足らなくなってきて、自分で新しくつくった農地は自分の財産にしてもいいよ、っていう決まりになった。その新しい自分の農地のことを「荘園(しょうえん)」と呼んで、公地公民の農地とは区別したんだよ。もとからリッチだった貴族とか大きなお寺や神社は、人をやとって、どんどん自分の農地をつくり広げていったのさ。ところが人間は欲が深いから、その荘園をうばいあったりするようになって、それを守る武士(ぶし)が出てきたんだよ。その武士の集団がまとまって力をつけ、朝廷とは別に政府をつくったのが鎌倉幕府(かまくらばくふ)なんだ。それで日本は戦国時代(せんごくじだい)という争ってばかりの嫌な時代になっていくんだ。この「荘園」は、豊臣秀吉が太閤検地(たいこうけんち)をやるまで続いた。まあ、荘園がお侍さんや幕府、戦国時代を生んだと覚えれば、社会科は100点とれるよ(うそピョン♪)。
縄文海進 じょうもんかいしん
ボクは1万年も生きてるからね。子供のまんまだけど、あはは。えーと、縄文海進?なんだっけ?・・・ああ、そうそう、6,000年くらい前の縄文時代の話だ。そのころ地球の氷河期(ひょうがき)が終わって、・・・え?氷河期っていうのは地球がひどく寒かった頃だよ。あったかい時代と寒い時代が何べんもくりかえされたのさ。その最後の氷河期が終わって、地球があったかくなった。そうすると山の氷とか南極の氷とかがとけて、たくさんの水になって海へ流れ込むよね。それで海の水面が数mも高くなったんだ。そうすると、低い土地は海の底に沈むよね。千葉県の九十九里平野なんて全部海の底。東京もほとんど海の底だったんだよ。ようするに、海が陸に向かって進んでいったから海進(かいしん)。縄文時代におこった海進を縄文海進と言うんです。おわり。質問はうけつけません。あはは。
条里制
条里
条里水田
じょうりせい
じょうり
じょうりすいでん
飛鳥時代の645年の大化(たいか)の改新(かいしん)のときに行われた公地公民(こうちこうみん)で、全国民に農地が配られたんだけど、みんな同じ広さの農地を配るためには、農地の形を同じにするのが便利でしょ?みんなはどんな形だったらいいと思う?・・・・そう!正方形にするのがいいよね。だから全国の農地を将棋の盤みたいに四角にしきったんだ。1辺が約100mだったかな。それで東西の列を「条(じょう)」、南北の列を「里(り)」にした。だから、条理制っていうのさ。
浸食 しんしょく

犬吠埼

雨が同じところにポタポタと落ちると、そこの土はへこんで穴があくだろ?石だって何年もポタポタとやられれば穴があくんだ。水の力ってのは意外とすごいんだぜ。海岸なんかで大きな岩がボロボロに崩れていたり、洞窟(どうくつ)ができていたりするだろ。あれは波にやられたのさ。千葉県の九十九里浜の屏風ヶ浦(びょうぶがうら)とか犬吠埼(いぬぼうざき)に行ってみな。みんなガケになってるだろ。あれは波によって岩がえぐられたのさ。そういうふうに岩とか土地が、川や海や氷河(ひょうが)なんかでけずり取られることを侵食(しんしょく)っていうんだ。
 
親王 しんのう 天皇の兄弟と覚えておけばいいよ。
親藩
親藩大名
しんぱん
しんぱんだいみょう
江戸時代ってのは徳川が将軍様(しょうぐんさま)だった。その徳川家の親戚(しんせき)の藩(はん)を親藩っていうんだ。尾張(おわり)、紀伊(きい)、水戸(みと)の御三家も苗字(みょうじ)は徳川だよ。松平という苗字の大名はだいたい親藩大名だね。ボクも本名は徳川パッカっていうんだ(うそピョン♪)。
水郷 すいごう
(すいきょう)

佐原の水郷
写真提供:香取市役所

水郷って水の郷(さと)って書くでしょ。ステキなイメージ。ザリー、大好き!千葉県の佐原(さわら)、茨城県潮来(いたこ)、九州の柳川(やながわ)・・・。水路がいっぱいあって舟で行き来するような街(まち)のことよ。水の景色のきれいな街も水郷って言うわ。でも、旅人はステキだと感じるけど、そこに住んでる人はたいへんだったのよ。田んぼは稲刈りの時でも水びたし。舟で稲を運んだの。特に利根川はいつも氾濫(はんらん)して、そのたびに作物や家が流されたりしたの。
水門
樋門
すいもん
ひもん
ボクは水門に足をはさまれたことがあるんだ。いたかったよ。水門ていうのはね、水路とか貯水池(ちょすいち)をゲートで仕切ってさ、そのゲートを上げたり下げたりして、水を出したり止めたり、調節する施設(しせつ)のことさ。樋門(ひもん)も役目は同じだけど、樋門は堤防に穴を通してゲートで開け閉めするのかな。用水を取り入れたり、排水するときに使う大切な施設らしい。みんなも近づかない方がいいよ、危ないからね。
水路橋 すいろきょう
ふつう、橋って人間がわたるためにかけるでしょ。でも、水路橋は水をわたすためにかけるの。川をこえるときとか、谷をまたぐときとか、道路の上を通ったり、写真みたいに田んぼの上にかける場合もあるのよ。
瀬替え
付替え
せがえ
つけかえ
はい、お答えします。瀬替えっていうのは、川の流れを別な川にくっつけたりして、川の行き先を変えてしまうことです。「付替え」も同じ意味。昔、利根川は東京湾に流れこんでいたのです。それを江戸時代の初めころ、鬼怒川なんかとくっつけて、今の茨城県にある霞ヶ浦のほうへ流すようにしたのです。え?どうしてそんなことしたんだって?・・・それは、利根川の洪水から江戸の町を守るためじゃないかなあ。他にもいろいろ理由はあったみたいだけど、詳しいことは徳川家康(とくがわいえやす)さんに聞いてよ。

頭首工
取水口
取水工
せき
とうしゅこう
しゅすいぐち
しゅすいこう

昔の堰

現代の頭首工

堰っていうのはだなあ、川をせき止めて水路に水をひいてくる施設のことさ。お百姓さんにとっては、とても大切な施設だったんだぜ。まあ、堰っていえば、矢原堰(やばらせぎ)とか新田堰(しんでんせぎ)とか水路もふくめて言うことも多いんだ。昔の堰は写真みたいに、木とか枝とかで川をせき止めて水を引いてきたんだ。だけど、大雨になればすぐに流されちゃう弱いつくりだったから、何度も何度も作り変えたりしたのさ。昔の水争い(みずあらそい)ってのは、たいがいこの堰のことでケンカになったのさ。でも、今は頭首工(とうしゅこう)っていう近代的な施設にかわって、水争いはすっかりなくなったし、大雨にも流されなくなったってわけ。川やため池から水を引くところを取水口(しゅすいぐち)、取水工(しゅすいこう)とも言うらしい。
潟湖
ラグーン
せきこ 潟湖って難しい字だけど「せきこ」って読むらしいの。ラグーンのことよね。実はワタシ、英語の方が得意なの。ほほほ。昔、海だったところが、砂丘などで囲まれてしまって、海と切りはなされてしまった湖がラグーン。だから少し塩っ辛いの。北海道のサロマ湖とか風蓮湖(ふうれんこ)が代表的なラグーンよ。
千石船 せんごくぶね
昔の大っきな木造船のこと。米を千石も乗せられるくらいデッカイ船。千石ったら、米俵が3,000俵だぜ。ホントそんなに積めるのかい。
扇状地
扇状地平野
せんじょうち
せんじょうちへいや
わあ、これ説明するのがむずかしいなあ。ぐりドリラー、かわってよ。・・・あ、いねむりしてる。えーとね、川が山から流れてきて平野へ出ると、急に平らな流れになるよね。だから、水の勢いが弱まって、山から川へと一緒に流されてきた砂とか石とかがそこへたまってしまうんだ。すべり台の上から砂を落とし続けると、下にたまるでしょ。あれと同じさ。どんどん、どんどんたまっていくと、どーなる?すべり台の下にたまった砂の山は、だんだんくずれて扇子(せんす)を広げたみたいな形になるよね。ようするに、川の平野と山の境目でできる扇(おおぎ)の形になった地形ということさ。地形図で見るとよく分かるよ。


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た行

語句 読み 解説
台地
洪積台地
だいち
こうせきだいち
算数の授業でも台形って習うけど、ああゆう形にちょっと高くなって上が平らな土地のことだよ。今は住宅地で人気があるけど、昔はどーしようもなかった土地さ。どうしてかって?・・・台地は周囲の土地より高くなってるだろ。だから水が引けないからさ、田んぼがつくれなかったのよ。今はポンプで水をくみ上げてっから、田んぼでも畑でもできるけどな。
田越灌漑 たこしかんがい 田越灌漑(たこしかんがい)って、すげえムズカシイ漢字だなぁ。でも意味はカンタンさ。棚田(たなだ)なんかで、ちゃんとした水路がなくてさ、上の田んぼを水で一杯にするとあふれるだろ。でもそのまま水を入れ続けると、次に下にある田んぼへ流れ込むだろ。で、次の田んぼも一杯になったら、その次の田んぼってぐあいに、順番に水をためていくことよ。水路がいらないというか、まあ原始的(げんしてき)なやり方だよな。そのわりにはムズカシイ字を書くから笑えるぜ。
棚田 たなだ
「たなだ」は、階段みたいになった田んぼのこと。きれいでしょ。観光名所になってるところもあるんだよ。
ため池
(溜め池)
ダム
ためいけ ため池つったら、田んぼや畑用に水をためておく池のことさ。その大きいのがダム。あのさ、ため池とダムの違い、知ってる?ため池は堤(つつみ)をつくって水をためてるだろ。その堤の高さが15mより低いのがため池、15m以上をダムと呼んでんだ。雨が少なかったり、大きな川がないところではため池をつくって水をためておくのさ。
湛水 たんすい 湛水ってのは田んぼとかダムに水をためること。・・・覚えなくてもいいけどな。
地下水
湧水
ちかすい
ゆうすい
地下水は地下の水さ。地面の中に染みこんだり、たまったりしている水のこと。雨や雪はたくさんしみこむんだ。しみこんだ雨はそのまま海まで流れて海中でふき出たり、中には途中で地面にふき出たりする。その地面からふき出るのが湧水(ゆうすい)、つまり涌(わ)き水のことだ。オレはよく地下にもぐるけど、地下数十~数百mという深いところに岩盤(がんばん、岩でできた層)や粘土層(ねんどそう)があってさ、そこにけっこうたくさんたまってるんだ。井戸をのぞくと、水面が見えるだろ。その水面まで地下に水がたまってるってことさ。その地下水が熱けりゃ温泉になる。中には化石水なんていう何千年前の海水が閉じ込められた地下水もあってさ、東京の温泉はその化石水が温められたもんらしいよ。
治水 ちすい 治水とは水を治めること。水というより川だね。川を人間が利用しやすいようコントロールするってことかな。つまり、水害を防いだり、農業に利用するために川の改良工事をおこなったりすることだよ。戦国時代には「水を治めるものが国を治める」なんて言われて、いろんな大名が立派な工事をしているよ。
沖積平野
沖積地
沖積低地
ちゅうせきへいや
ちゅうせきち
ちゅうせきていち

長野県梓川の沖積平野

この沖積平野ってよく出てくるよね。扇状地(せんじょうち)でも説明したけど、川は山からの土砂をたくさん運んでくるでしょ。沖積平野は、川が氾濫(はんらん)するたびに、たくさんの土砂がたまってできた平野のことを言うんだ。なんで沖積(ちゅうせき)って言うかっていうと、沖積世(ちゅうせきせい)の時代、まあボクが生まれた頃、つまり約1万年前の頃からでき始めたからさ。日本の平野は、ほとんどが沖積平野だね。川の土砂でできた平野って覚えておけばいいよ。ややこしいことに「洪積層(こうせきそう)」ってのもあるんだ。洪積層は、沖積世よりも古い時代、ボクが生まれる前からすでにあった古い地層だよ。大昔の大昔、火山灰なんかが積もってできたみたい。台地はだいたい洪積層なんじゃないかな。沖積と洪積って漢字が似てるでしょ。沖は「おき」って読むから、大昔は海のようなところだったって覚えておけばいいんじゃない?

ha
町歩
ちょう
ヘクタール
ちょうぶ
町は「まち」じゃないのよ。「ちょう」って読むの。正確には「町歩(ちょうぶ)」って言うのよ。昔の広さの単位。106m×106mだから、今のha(ヘクタール)とほぼ同じ広さなの。だから、3,000町(町歩)って書いてあったら、約3,000haだと思えばいいわ。
調整水槽
バッファーポンド

ちょうせい
すいそう

ばっふぁー
ぼんど

調整水槽(ちょうせいすいそう)ってのは、ボク、知らないなあ。たぶん、調整池(ちょうせいち)と同じだと思うよ。水路の水量を調整するための施設(しせつ)。水槽(すいそう)ってプールみたいなもんだから、コンクリートでできてんじゃないのかなぁ。

調整水槽

上から見た場合

 

調整池 ちょうせいち
調整池っていうのは、水の量を調整するためにつくるプールみたいな池のことよ。例えば、川や湖からポンプで水を吸い上げて調整池にためておくとかね。調整池は農業用水の施設だけじゃなくて、水力発電所や浄水池にもあるし、洪水のための調整池もあるみたいよ。要するに、お財布(さいふ)みたいなものよ。いちいち銀行にいかなくてもいいように、ある程度のお金を財布に入れておくでしょ。あれと同じことじゃないの。ザリーもよく知らないの。知らなくてもいいんじゃないの。専門家に任せておけば。ふふふ。
天水田
天水
てんすいでん 天水ってのは雨水のこと、天水田は雨水だけを使っている田んぼのことです。近くに川がなくて水路が引けなかったり、ため池もできない地域の田んぼでは、水は雨にたよるしかなかったわけです。だから、日照りがつづくとすぐに稲も枯れてしまいます。千葉県の九十九里平野なんか両総用水(りょうそうようすい)ができるまでは、こういう天水田が多かったそうです。
天領
幕府直轄領
てんりょう
ばくふ
ちょっかつりょう
江戸時代の日本は、たくさんの藩(はん)に分かれていたってこと、知ってるかな。知ってる君はすごい。だいたい260くらいの藩に分かれていたんだって。藩は自分の領地(りょうち)をもっていた。宇都宮藩8万石といえば、8万石のお米がとれる分の領地をもってたんだ。とうぜん将軍様の徳川家は日本一の広さの領地をもってたわけで、約400万石もあったらしい。その徳川幕府の領地のことを天領(てんりょう)っていうんだ。幕府直轄領(ばくふちょっかつりょう)とも言うよ。関東地方は天領が多かったんだよ。
外様
外様大名
とざま
とざまだいみょう
江戸時代の大名は2つに分けられるのです。徳川グループとそれ以外のグループ。これは関が原の戦いで徳川方(とくがわがた)に味方したグループと、豊臣方(とよとみがた)に味方したグループなのです。徳川グループは親戚の親藩(しんぱん)大名と譜代(ふだい)大名、それ以外は外様(とざま)大名なんて呼ばれたのです。200万石の加賀藩(かがはん)も77万石の薩摩藩(さつまはん)も外様大名なのです。


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な行

語句 読み 解説
二毛作 にもうさく 二毛作っていうのは、お米をとったあと、同じ農地に別な作物をうえて収穫(しゅうかく)することよ。裏作(うらさく)っていう言い方もあるわ。お米のあと麦をうえているところもあるそうよ。南の暖かいところでは、1年に2回もお米をとる地域もあるみたい。それは二期作(にきさく)っていうの。
認定農業者 にんてい
のうぎょうしゃ
ようするに、市町村が認めたプロの農家ってことよ。いろんな条件を満(み)たしていて、バリバリがんばってる農業者ね。プロだって認められると、銀行(ぎんこう)とか税金(ぜいきん)とか、いろいろ有利になるらしいの。
年貢 ねんぐ 年貢ってのは、早い話、税金のことだな。昔は田んぼの年貢はお米でおさめたんだ。畑では綿(わた)や絹(きぬ)なんかの作物、またはそれをお金にかえておさめたんだ。お米の年貢は平安時代の終わりころから始まったらしいけど、江戸時代まで続いた。明治になってからは地租改正(ちそかいせい)で、ぜんぶ税金、つまりお金でおさめることになったのさ。・・・そういえば、オレ、税金なんておさめたことねえよ。わ、いいのかな、いいのかな。
農業土木 のうぎょうどぼく 農業土木っていうのは、字を見ればわかるとおり、農業のための土木工事のことだ。水路をつくったり、ため池をつくったり、排水工事をしたり、農地の区画整理(くかくせいり)をしたり・・・。農業水利事業(のうぎょうすいりじぎょう)とか、土地改良事業(とちかいりょうじぎょう)っていうことと同じさ。でも、農業土木は学問の名前だといってもいい。農業水利とか土地改良とか農業農村整備(のうぎょうのうそんせいび)というのは、事業の名前。それを行う人は、農業土木学を勉強しなくっちゃな。日本の農業土木っていうのは国を富ませるためや国土を守るための学問ということで世界的に注目されてんだってさ。


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は行

語句 読み 解説
排水機場 はいすいきじょう
排水機場(はいすいきじょう)は揚水機場(ようすいきじょう)の反対だ。揚水機場は水をくみ上げる施設(しせつ)だろ。排水機場は、水を取りのぞく施設さ。どうして機械を使って水を抜かなきゃいけないかっていうと、雨がたくさん降ったりして、川の水が増えると、自然に水が流れなくなってしまうから。だから、ポンプを使って水を抜くんだってさ。なんで農地に水がたまったままじゃいけないのかは、排水を読んでみてよ。あと、湿地帯(しっちたい)の農地も地下水がたくさんありすぎて、良くないらしい。干拓地も水がたまりやすいから排水機場がいるんだぜ。
排水路
排水
はいすいろ
はいすい
ふつうは、田んぼからの水や雨を流すための水路のことだけど、田んぼの排水路(はいすいろ)というのは、田んぼの水を抜くための水路のこと。どうして排水路が必要かっていうと、稲刈りのときなんかは水がたまっていると刈りにくいし、機械も使えないでしょ。だから、稲刈りの前なんかには田んぼの水をぜんぶ抜いちゃうのよ。それから、お米を取ったあと田んぼを畑として使う農家も多いわね。畑として使う場合も水は完全に抜く必要があるの。日本の農業にとっては、とっても大切な施設(しせつ)なのよ。
パイプライン
管水路
ぱいぷらいん
かんすいろ
パイプラインっていうのは、長い長い管のこと。石油とか天然ガスなんかの液体を運ぶのに使うの。でも、農地のパイプラインは何のために使うか、分かるよね?・・・そう!田んぼや畑に水を運ぶためよね。だから、管水路(かんすいろ)とも言うの。例えばポンプで吸い上げるときなんかにはパイプラインがいるでしょ。それから、普通の水路は人が落ちてしまうこともあってアブナイの。だからパイプラインの水路にかえるところも増えてきているみたい。でも、ザリー、つまんない。だって、パイプラインだと泳げないでしょ。
旗本 はたもと 「ふっふっふ、この天下御免(てんかごめん)の向こう傷で気付かぬか。せっしゃ、早乙女主水之介(さおとめもんどのすけ)、人呼んで旗本退屈男(はたもとたいくつおとこ)。わははは!わははは」。・・・ボク、あの時代劇がダイスキ!・・・え?・・・知らないの、知らないの?あんなに面白いのに。・・・えーと、なんだっけ?・・・あ、そうそう旗本(はたもと)ね。旗本ってのは徳川家のえらーいお侍(さむらい)さんで、将軍様と同じ部屋に入れる資格(しかく)をもってるくらいえらいんだ。旗本は「とのさま」なんて呼ばれるんだ。ああ、ボクも旗本退屈カッパって呼ばれたいなあ。
氾濫原 はんらんげん 洪水のときに水がつかる範囲(はんい)のことを氾濫原(はんらんげん)って言うらしい。だから、土地が平らで低くなっているところだ。谷底の狭い平野とか、扇状地(せんじょうち)とか、沖積平野(ちゅうせきへいや)とか、河口近くで川が枝分かれしているところ。昔の関東平野なんて利根川や荒川の氾濫原ばかりだったんだぜ。
番水 ばんすい 番水っていうのは、用水慣行(ようすいかんこう)の一つ。川の水が足りなくなったとき、ごとに水を取り入れる時間を決めたりしていたの。順番に水を引くって意味よ。パッカ村は30分、ぐりドリラー村は1分(ぐり「少なすぎるー!」)、ザリー村は3時間(ぐり「多すぎるー!」)なんてね。今でも渇水(かっすい)になると江戸時代からの約束事にしたがって、番水をやってるところはたくさんあるのよ。
微高地 びこうち 微高地ってのは、見ただけではわかんないけど、ちょっとだけ高くなっている土地のことさ。水は低いほうへ流れるだろ。だから、ほんのちょっとだけ高くても、水はそっちへは流れないのさ。
富栄養化 ふえいようか 湖とか沼とか、湾の中なんかで栄養分(えいようぶん)がたくさんになることさ。栄養分って、リンとか、チッソなんだって。これって、いいことみたいな気がするだろ?・・・ところがどっこい、栄養分が増えすぎるとプランクトンがすごくふえて、水がきたなくなったり、くさったりするんだ。もちろん魚もすめなくなる。ほら、よく池がこい緑色になったり、アオコがいっぱい生えてたりするだろ。あれも富栄養化なんだよ。なんで富栄養化がおこるかってゆーと、人間が生活に使ったあとの下水とか、工場の排水とか農地の肥料なんかが流れこむからさ。
譜代
譜代大名
ふだい
ふだいだいみょう
外様(とざま)でも説明しましたけど、江戸時代の大名は徳川グループとそれ以外の外様グループがあったんです。徳川グループは将軍家の親戚(しんせき)の親藩大名とこの譜代(ふだい)大名なんです。譜代とは昔からの徳川さんの家来だね。まあ早い話、関が原の戦いより前に、家康(いえやす)オジサンにくっついていた大名のことだと覚えておけば、それほどまちがっていないと思います。
分水工 ぶんすいこう

写真提供:両総土地改良区

分水工ってのは、一本の水路の水を2本とか3本とかに分ける施設(しせつ)のことだ。例えば、3つの村があってさ、パッカ村の農地は59ha、ザリー村は100ha、ぐりドリラー村は150haあったとするだろ。そうすると、一本の水路の水を1:2:3に分けなきゃいけないだろ。今はすごい機械で正確に分けているけど、昔はいろいろ知恵を使って分けたんだ。例えば、この分水工は千葉県の東金市(とうがねし)にあるやつだ。これは丸いケーキを切り分けるみたいに、水を3つの地域(ちいき)へ分けてんだ。
牧野
ぼくや
まき
だれだ?牧野(ぼくや)の意味がわからないって言うのは。・・・ボクや。・・・あはは。牧野(まきの)さんって苗字(みょうじ)があるけど、農地のばあいは「ぼくや」って読むのさ。だけど「牧」一字のときは「まき」って読む。ややこしいね。牧場は「ぼくじょう」でも「まきば」でもいい。ようするに、馬や牛やヒツジなんかを放飼い(はなしがい)にするところや、牧草(牛や馬のエサ)を育てるところさ。これも農地なんだよ。
ほ場整備 ほじょうせいび
ほ場整備っていうのはね、田んぼを四角くて同じ大きさにそろえたりすること。今は田植えも稲刈りも大きな機械(きかい)を使うでしょ。だから、田んぼは大きくて四角いほうが使いやすいし、仕事が楽になるの。広々とした水田地帯(すいでんちたい)は、たいがい、ほ場整備をやってるわ。農地の形が変わると水路や、排水路も変わるから、たいへんな工事になるの。それに、たくさんの人たちの農地の場所を交換(こうかん)したりしなきゃいけないから、話がまとまるまでに時間がかかるのよ。


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ま行

語句 読み 解説
水争い みずあらそい 昔は、一本の川には何ヶ所かに(せき)がつくられて、水を引いていたの。川の向こう岸とこっち岸、上流と下流。大きな川になると10~20ヶ所から水路を引いていたのよ。川の水が多いときは問題ないけど、少し日照りが続いて川の水が減ってくると、さあ大変!水が取れなくなる堰がでてくるの。田んぼはカラカラ、稲もいまにも枯れそう。ところが上流にある堰は有利でしょ。上流の堰が少ない水を取ってしまうと、下流には流れてこないじゃない。だから、下流の村の人たちは、上流の村へ水を少し流してくれとお願いに行くわけ。「そうでないとウチの村、全滅(ぜんめつ)じゃ」「分けてはやりたいが、こっちの田んぼも水が足りんのじゃ」「お願いじゃ、少しだけでも!」「やれんものはやれん!」・・・お互い自分の村の生死がかかってるから、必死よね。話し合いで解決(かいけつ)がつかなければ、やるっきゃないでしょ。カマやクワを手にした大勢の農民があつまって、大ゲンカが始まるの。石をぶつけ合ったり、なぐりあったり・・・。けが人がでたり、警察(けいさつ)がかけつけるなんてことも、しょっちゅうあったらしいの。誰が悪いわけでもないのに、・・・かわいそう、グスン(涙)。・・・でも、今はね、いくつかの堰がいっしょになって、立派な頭首工(とうしゅこう)もできたから、こういう水争いはなくなったのよ。


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や行

語句 読み 解説
谷津田 やつだ 谷津田(やつだ)は、谷地田(やちだ)とも言うわ。関東地方の台地(だいち)と平野の境目にたくさんある田んぼで、小さな谷間につくられた細長い田んぼのことよ。

遊水池 ゆうすいち
洪水ってこわいよな。いったん堤防(ていぼう)がこわれたら町や村は水びたし。向こう岸の堤防がこわれたら、こっちの岸は助かるけどな。でも、こわしにいくわけにゃいかない。で、昔の人は、かしこいことを考えたんだ。人の住んでいないところへ洪水があふれりゃいいじゃねえか。そうすりゃ、下流の水は減るだろ?・・・で、誰もいない広い野原か沼みたいなところはわざと堤防をつくらないでおいて、そこへ川の水があふれるようにしたのさ。そういうのを遊水池(ゆうすいち)って言うんだ。今も、栃木県の藤岡町へ行くと「渡良瀬遊水池(わたらせゆうすいち)」ってのがあるよ。ここは、利根川がそばを流れて、渡良瀬川、思川(おもいがわ)、巴波川(うずまがわ)が合流するところだ。写真は、大谷遊水池(おおやゆうすいち)のものだぞ。
養蚕 ようさん あのさ、絹(きぬ)って知ってるよね。着物をつくったりする高級な布。じゃあ、絹糸ってなにからとれるか知ってる?・・・ボク、おどろいたんだけど、絹ってさ、蚕(かいこ)のマユからつくるんだってさ。マユってのは細い細い糸でグルグル巻きになってんだ。それをほどくと長くて細い糸がとれる。それを集めて糸にするんだって。蚕(かいこ)ってのは5、6センチの白い青虫みたいなやつ。うへー、気味悪い。ボク、きらいだ。昔の人は蚕(かいこ)をたくさん飼ってたんだって。蚕はクワの葉を食べて育つから、畑にはクワをいっぱい植えてたんだ。だから、養蚕(ようさん)というのは蚕とクワを育てて、絹糸の原料をつくるという農家の大切な仕事だったんだ。
用水慣行
水利慣行
ようすいかんこう
すいりかんこう
慣行(かんこう)っていうのはね、自然にできあがった「しきたり」とかルールのこと。約束事(やくそくごと)もふくまれるわね。ようするに法律で決まってるわけじゃないんだけど、みんなが守ってきたルールみたいなものよ。水争い(みずあらそい)は読んでくれた?・・・農家の人たちだって水争いなんてしたくないよね。だから、それを避(さ)けるために、いろいろと取水について決め事をつくってきたの。そうすれば、をこわしたり、石をぶつけあったりすることもなくなるでしょ。そういう約束事、昔からのしきたりを用水慣行(ようすいかんこう)とか水利慣行(すいりかんこう)と呼ぶの。今でも渇水(かっすい)になると江戸時代からの約束事にしたがって、番水をやってるところはたくさんあるのよ。
揚水機場
(揚水機)
ようすいきじょう
(ようすいき)
揚水機(ようすいき)というのは、早い話、ポンプのことさ。水を高いところへ吸い上げたり、おし上げたりする機械(きかい)のこと。川から水を吸い上げて丘の上の農地に運んだり、千葉県の両総用水みたいに利根川の水を、山をこえて九十九里平野に運んだりするときに使う大切な施設が揚水機場(ようすいきじょう)なんだよ。


 

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ら行

語句 読み 解説
利水 りすい 利水というのは、水を利用すること。つまり、水路を引くことさ。農業用水や工業用水や水道などを、人間が川や湖の水を利用できるように整備(せいび)するってことだな。よく似た言葉に治水(ちすい)ってのがある。これは、川をコントロールすることさ。洪水や干ばつ(かんばつ)のある日本では、利水と治水はワンセットだな。
流域面積
(流域)
りゅういきめんせき
(りゅういき)
那珂川の流域
流域(りゅういき)は、その川のそばにある町や村、つまり川の流れにそって並んでいる地域のことを意味するの。でも、流域面積(りゅういきめんせき)って言い方になると、その川に雨が流れ込んでくる地域の面積を合計したものを示すの。利根川(とねがわ)には、群馬県、栃木県、埼玉県、東京都、茨城県、千葉県の水が集まってくるでしょ。だから、利根川の流域面積は日本一大きいのよ。
隆起 りゅうき 隆起(りゅうき)ってのは、ムクムクと盛り上がることです。山とか地面でも盛り上がったりするよ。地球ってのは生きてるみたいに動いてんだ。ほら、地震(じしん)なんかも地面が盛り上がったりして起こるらしいよ。海の底の地面が盛り上がってできた島もある。むかし海だったところが盛り上がって陸地になったなんてことを、隆起現象(りゅうきげんしょう)によって生じた、なんてカッコいい言い方をするのさ。
流路 りゅうろ 流路は、川や潮(しお)が流れる道のこと。
領主
領地
在地領主
りょうしゅ
りょうち
ざいちりょうしゅ
  領主ってのは、その地方を支配していたエライさんのことだ。領地(りょうち)は、領主が支配していた土地のこと。在地領主(ざいちりょうしゅ)っていうのは、中央のお役人が支配するのではなくて、その地方に住んでる人たちが領主のばあいのことを言うんだ。戦国大名(せんごくだいみょう)は、在地領主から勢力(せいりょく)を広げていった人も多いんだよ。
露地
露地栽培
ろじ
ろじさいばい
露地って、雨や露(つゆ)が直接あたるところ。つまり、屋根のないところ。だから、露地栽培(ろじさいばい)と言ったら、ビニールハウスではなく、ふつうの畑で作物をそだてること。むかしはそれが当たり前だったけど、ちかごろ、ハウス栽培(さいばい)の作物が多くなってきたから、露地栽培と呼んで区別しているの。


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わ行

語句 読み 解説
和算 わさん 和算とゆーのは、つまり、日本の算数、とくに江戸時代のムズカシイ算数のことさ。日本人っていうのは和算が大好きみたいで、今のゲームみたいに、はやったんだ。江戸時代はテレビもゲームもないからさ、ムズカシイ問題を解いて楽しんだんだな。オレも算数は大好きだ。よくアタマから煙(けむり)が出そうになるけどね。この和算はすごくレベルが高くて、世界の数学者(すうがくしゃ)がみんなオドロイタそうだ。ノーベル賞をとった学者が発表したある法則は、その100年以上も前に日本で答えが出ていたものらしい。まあ、水路をつくるには、ムズカシイ測量(そくりょう:土地の広さや長さ、高さをはかること)の技術(ぎじゅつ)がいる。だから、日本人はむかしから賢(かしこ)くて、算数が好きだったのさ。オレも賢いからね、へっへっへ。


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農村振興部設計課

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