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関東農政局

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2. みどころ 【地域情報】

加曽利貝塚(千葉市)

(写真提供:千葉市)

   日本の貝塚総数は約1,600か所、そのうち約500か所が千葉県で発見されています。千葉市では115か所で貝塚が確認されており、「貝塚の街」として世界的にも知られています。中でも加曽利貝塚(かそりかいづか)は日本を代表する貝塚で、直径130mの北貝塚(縄文時代中期、約5,000年前)と長径約170mで馬蹄形の南貝塚(縄文時代後期、約4,000年前)が連結し、約13万4,000m2にもおよぶ敷地は世界最大級で、国指定史跡として整備されています。また、加曽利貝塚公園は「日本の歴史公園100選」にも選出されました。

 

佐倉城跡公園(佐倉市)

(写真提供:佐倉市広報課)

   佐倉城は、江戸時代初期に徳川家康の命を受けた土井利勝(どいとしかつ)により築城された平山城です。西と南には川が流れ、北に印旛沼(いんばぬま)という地勢を巧みに利用しており、さらに水堀、空堀、土塁を築いて守りを固め、東につながる台地上に武家屋敷と町屋を配して城下町としました。そして、江戸を守る要衝の地として代々譜代大名が封ぜられ、幕府の要職につくと佐倉に移されるという傾向から城主は頻繁に交代しました。20人の佐倉城主のうち9人が老中となっています。城の建物は明治初期にすべて取り壊されましたが、佐倉城跡公園では堀・空堀・曲輪(くるわ)などから当時の城の様子をうかがうことができ、武家屋敷通りには城下町佐倉の面影が今も残っています。 

 

伊藤左千夫の生家(山武市)

(写真提供:山武市)

   伊藤左千夫(いとうさちお)は元治元年(1864年)にここで生まれました。その後、上京して正岡子規の門に入って短歌を修め、晩年に発表した小説「野菊の墓」でも広く知られています。左千夫は文学の傍ら茶の湯を愛好しました。子規からは「茶博士」と呼ばれたほどで、本所茅場町の左千夫の自宅を「無一塵庵(むいちじんあん)」と名付けています。さらに明治43年には、その自宅傍に郷里の山武杉を用いた一戸建の茶室「唯真閣(ゆいしんかく)」を完成させました。左千夫の死後、茶室は生家に移されて現在に至ります。

 

 

 

お問合せ先

農村振興部設計課
ダイヤルイン:048-740-0541

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