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関東農政局

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さらに詳しく野付村の生活

 江戸時代の(まき)は「牧士」と呼ばれる責任者を中心に、周辺の村々、いわゆる「野付村」の農民たちで管理されていました。野付村の「野」は、古くから人の手が入っていない土地を指す言葉です。牧が設置されるまで、北総台地一帯は「千葉野」と呼ばれていたため「千葉野に隣接した村々」という意味で野付村とよばれたのでしょう。

野付村は、中世までの開墾で成立した集落や、江戸時代の新田開発で成立した村々です。彼らは農作業のかたわら牧を見回り、馬の病気やけがの発見と事故防止に努め、また、草刈りや野馬土手の修理などを日常的にこなしていました。年に一度の「野馬捕り」では多くの農民が借り出されたといいます。

野付村の人々にとって、牧を管理する負担は決して小さなものではありませんでしたが、一方で牧は生活に欠かせないものでもあったようです。牧で刈り取った草は、農地の肥料となり、農耕用の牛馬の飼料にもなりました。牧の周辺に植えられた松や杉、クヌギなどは、炭にして現金収入を得ることが認められていました。「野馬捕り」の期間には、多くの見物人が集まり、酒や茶などを売る店なども出されたようです。


野馬捕り(画像提供:八街市)

お問合せ先

農村振興部設計課
ダイヤルイン:048-740-0541

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