このページの本文へ移動

東北農政局

メニュー

地域の歴史

1.古代の会津

 会津に住みついた形跡は古く、会津盆地周辺の台地からは新石器時代にあたる打製石器や縄文各期の土器その他の出土が見られます。この頃の伝承を記す「古事記」には、崇神天皇の御代、大昆古命が北陸側から建沼河別命が関東側から征討を進めて、この地で往き会われたので「相津」と名付けたとあります。相津は後に会津と改められますが、弥生後期にあたるこの時代にすでに中央との関係の強い要地であったことを示しています。
 当時の稲作は、北陸の方から阿賀野川沿いに伝わったと考えられており、大化の改新(646年)では、門田付近(会津若松市門田町中野)に条理の名残が認められています。

2.会津支配の経過

 奈良時代、会津は,陸奥の国会津郡として国造らの政治下に置かれたと思われ、平安時代になると、名僧「徳一」が大同2年(807年)磐梯山麓に恵日寺を開基し、磐梯信仰と結びついた会津仏教を広め、湯川村の勝常寺など多くの寺が建立され会津一円に及んだとされています。
 やがて、源平の争いで、恵日寺の僧兵は木曽義仲に破れ、奥州平泉の藤原氏が会津に勢力を伸ばす。しかし、源頼朝は奥州藤原氏を滅ぼして、会津の地を佐原氏ほかに領地として与え、佐原氏は黒川(現在の会津若松市)に居城を定め、芦名氏を称して会津の支配と経営を行います。芦名氏の支配は、戦国時代までの400年に及びますが、天生17年(1589年)に伊達政宗に敗れ終期を迎えます。会津は伊達領となりますが、天下統一した豊臣秀吉は、奥州仕置きで会津から伊達を退け、蒲生氏郷を領主に命じました。氏郷は、黒川をその生地にちなんで「若松」と改め、城下の発展を図るがわずか8年で死去、その後、越後の上杉が入封し130万石となりますが、神指城の築城や関ヶ原の戦いで背いた形となり、米沢30万石に削封されます。再び、蒲生秀行が領主となりますが、数年で加藤嘉明へ替わります。加藤は約20年間会津を治め城の大改修を行ったこと内部の不始末をとがめられて、領地を返上しました。その後、保科正之が山形藩から移封され、会津が東北の要、親藩として重要性が一層高まります。保科氏は、その後松平姓を称し、幕末まで続くこととなります。

平成27年に天守閣再建50周年を迎えた鶴ヶ城

3.会津南部の用水開発

 会津南部地区の農地は、阿賀川の右岸会津若松市と続きの地域、阿賀川左岸上流側の地域、その下流側の地域に大きく3分されます。それは現在の、門田幹線用水路の関係地域、大川幹線用水路の関係地域、富川幹線用水路の関係地域にあたります。
 それぞれの地域では、相当古い時代から水が引かれ、堰守と呼ばれる世襲の管理者を中心に用水管理が行われてきた歴史を持っています。
 大正年代末には、大川(現在の阿賀川)に多数の取水堰が設けられていましたが、日照りが続くと干ばつとなって取水量が不足し、大雨や長雨となると出水して激流は、堰枠等を押し流し、その復旧に多くの費用や労力を要し、平均2割もの減収を余儀なくされたと記録されています。また、対岸との水争いもしばしばで警察の出る事態もありました。
 昭和2年に、農林省は狩野徳太郎技師を福島県に派遣し、共同で測量設計を開始したのが、福島県営大川筋農業水利事業計画です。内容は、大川右岸の門田堰、松堰と左岸のうつろ堰、本郷堰、岩崎堰を廃しし、馬越地点に頭首工を設置し統合取水する計画で昭和3年2月に県議会で議決されました。右岸側は、昭和8年に完了し、左岸側は発電(現在:東北自然エネルギー株式会社)との共同事業で進められ、昭和25年に発電を除く部分が完了しました。その後、発電施設の建設(本郷発電所)が進められ昭和31年から営業を開始しました。このように、当時いちはやく発電と共同事業を企画実行しており、そこには、幾多先覚者の事績が輝いています。
大川幹線用水路に共同事業で設置された
本郷発電所
大川幹線用水路
うつろ坂水路橋
うつろ堰碑

4.前歴の概要(国営会津南部土地改良事業)

 この地域の水源は、栃木県境の荒海山(1,580m)に源をもつ阿賀川(大川)に依存していたが、河川の流況は不安定のうえ、特に下流部では河川水が伏流するなどに加え河床変動が著しい状況であった。また、昭和初期に県営事業で造られた取水施設の馬越頭首工や左右岸の幹線用水路は、災害復旧工事などで逐次改修を加えてその機能の保持につとめてきたが、老朽化が進み維持管理費の増嵩と安定した取水を困難にし、不足水を地区内の地下水や残水で辛うじて補ってきた。
 このような状況を抜本的に解消するために、取水施設の統合と用水路の改修整備によって用水利用の合理化を行い、併せて関連事業によって、ほ場整備事業の促進と末端用排水施設を整備して、機械化農業の進展による生産性の向上と経営の安定を図ることを目的として、「国営会津南部土地改良事業」が昭和53年度から実施されました。
 馬越頭首工航空写真(改修直後)

 富川頭首工航空写真(完成直後)

 門田幹線用水路取り入れ口


大川幹線用水路トンネル内補修
(鋼板内巻工法)



富川頭首工 操作室

宮川サイホン工事の様子


お問合せ先

会津南部農業水利事業所
〒965-0873 
福島県会津若松市追手町6番11号  会津若松合同庁舎3階
電話:0242-36-6720