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東北農政局

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地域の歴史

  本地域では、田舎館村の垂柳遺跡(たれやなぎいせき)における水田跡の発見により、2000年以上も前から稲作農耕が行われていたことが分かっています。

  その後、気候の寒冷化により稲作は一旦すたれますが、戦国時代に津軽為信がこの地を統一して以降、歴代津軽藩主によって積極的に新田開発が進められ、稲作中心の水田社会が広がりました。しかし、江戸時代の元和、元禄、宝暦、天明、天保年間には5大飢餓と呼ばれる飢饉が発生し、多数の餓死者が出たほか、用水不足により近代まで流血の惨事に発展するほどの水争いが絶えませんでした。

  また、飢饉とともにこの地を襲った天災が洪水です。津軽地方は、上流部では河床勾配が急で水が一気に平野部へ流れ落ちますが、逆に平野の下流部では、河床勾配が緩く水がなかなか流れないため、1615年から1940年の325年間で計108回の洪水を数え、およそ3年に1度の割合で、洪水被害に見舞われていました。

垂柳遺跡(弥生時代中期水田跡) 津軽藩の内高の推移(1593~1694)



国営浅瀬石川土地改良事業(昭和50年度~平成7年度)

  浅瀬石川地区は、岩木川の支流浅瀬石川及び十川を主水源とする津軽平野の南西部に位置する地域であり、これらの河川流量の不足による恒常的な用水不足、排水先である十川の背水等による排水不良を解消すべく、昭和50年度~平成7年度に国営浅瀬石川土地改良事業が実施されました。

  二庄内ダムの築造や頭首工の統合新設、揚排水機場や基幹用排水路の新設改修により、用水系統の再編と水田の汎用化のための排水改良が行われ、水源の安定確保と洪水被害の減少が図られました。

  併せて、関連事業により、末端排水路の整備、区画整理等が実施され、農業経営の安定と近代化が図られました。

二庄内(にしょうない)ダム
温湯(ぬるゆ)頭首工
中泉(なかいずみ)排水機場


お問合せ先

津軽土地改良建設事務所
〒036-0357 青森県黒石市追子野木3-145-1
電話:0172-40-4360