2. 畑地かんがいの開始と水不足 【事業に至る経緯】】
畑地かんがいの開始
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昭和30年頃から、開拓地では、穀類に代わって、すいかやにんじん、白菜、大根など、野菜の生産が多くを占めるようになります。肥料や栽培方法の改良が進んだこともあり、開拓地の農業は、土地に合わせた生産を中心としていた時代から、野菜栽培による売り上げ増を図る時代へと移り変わっていきました。
しかし、これらの野菜は干ばつに強い作物だけではありません。様々な野菜を栽培するためには、それまでのような雨水だけに頼った農法では限界があります。北総台地では、ちょうどこの頃から、ポンプで地下水をくみ上げ、畑へと水を配る畑地かんがいが始まりました。
事業導入の経緯
野菜の生産を拡大し、名実ともに首都圏の食料供給基地の地位を築いた北総台地。しかし、人口が集中する首都圏の食料需要は増え続けます。北総台地のかんがい用水は、雨水と地下水であり、天候に左右される農業を余儀なくされました。
当然、台地の上には、新たな水源となり得るものは何一つありません。しかし、台地の北を見れば・・・そこには日本一の流域面積を誇る大河川、利根川が流れていました。
利根川の水を畑のかんがい用水に――各地で用水事業を求める声が高まっていきます。こうした中、昭和37年、利根川水系が水資源開発水系(※)に指定され、水系全体で、総合的な水資源開発と利用の合理化を図る計画が作られました。
北総台地でも、昭和54年から調査が行われ、当事業地区まで利根川の水が引かれることが決定しました。すでに利根川から水が引かれていた北総東部地区の取水施設と用水路を利用し、その先の用水路と揚水機場などを新設するこの事業は、昭和63年に着工し、現在も着々と工事が進められています。
水資源開発水系とは、昭和36年に制定された「水資源開発促進法」に基づき指定される水系のことで、「産業の発展や都市人口の増加に伴い広域的な用水対策を実施する必要のある水系」と定義されています。
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