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関東農政局

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さらに詳しく俘囚の乱と中世への歩み

奈良時代から平安時代、当時の東北地方には、まだ朝廷の支配下に入っていない蝦夷(えぞ)と呼ばれる人々が多く残っており、独自の生活や文化を続けていました。朝廷が東北進出を進める過程で捕虜となった蝦夷は「俘囚(ふしゅう)」と呼ばれ、関東地方にも数多くの俘囚が移住させられたといわれています。9世紀の関東では、上総(かずさ)、下総(しもうさ)を中心に、この俘囚の反乱が相次ぎました。

俘囚の反乱は、処遇の改善を要求したものだったと考えられていますが、上総、下総で頻発した理由は定かではありません(俘囚自体は全国に分散していた。)。しかし、反乱が頻発したことで、関東は少なからず混乱し、その後の武士の乱、つまり平将門の乱、平忠常の乱が起こる状況がつくりだされたものと想像できます。

11世紀、平忠常の乱の舞台となった上総、下総、安房(あわ)の房総三国は、乱後には「亡国」と表現されるほど荒れ果てたといいます。それまでに開墾されていた農地も荒野と化したようです。しかし、この乱を起こした忠常の子孫たちによって、上総、下総の農地は再び拓かれ、荘園が形成されていきました。荘園開発で力をつけた彼らは、上総氏、千葉氏へと成長し、戦国大名北条氏が進出してくるまで、上総、下総の中世を担うことになります。

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農村振興部設計課
ダイヤルイン:048-740-0541

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