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東北農政局

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域の歴史

地形

仙北平野周辺地形の衛生写真

   秋田県は、東北地方の北西部に位置しています。県の西部は日本海側に面し、東部は奥羽山脈、北部には白神山地、南部には丁岳(ひのとだけ)山地と神室(かむろ)山地が連なり、三方を山で囲まれています。また県の中央部には南北に出羽山地があり、県の面積は全国で6番目ですが、山がちな地形のため、平地のほとんどは米代川と雄物川の流域にあります。 

   県南東部を流れる雄物川流域には、南北約60キロメートル、東西約15キロメートルにおよぶ横手盆地があり、盆地の北部は仙北平野、中南部は平鹿平野と呼ばれています。仙北平野は、東側の奥羽山脈を源とする斉内川、川口川、丸子川等による扇状地と平野の西縁を流れる雄物川最大の支流、玉川の氾濫原が平野を形成しています。

 

 

<主な引用・参考文献>

「都道府県別 日本の地理 北海道・東北地方」ポプラ社(平成20年3月)等

ランドサット衛星画像

気候・気象

    秋田県の西部は日本海に面し、東部の県境は南北に奥羽山脈が連なっています。このため秋田県の気候は典型的な日本海型気候となっています。冬はアジア大陸からのシベリア気団の寒気は、暖流の流れる日本海を吹きわたってくるうちに下層から暖められ、湿潤となります。そして 奥羽山脈で強制上昇させられて積乱雲が発達、しぐれや雪をもたらします。このため、雪は沿岸部では少なく、内陸部に入るに従い多くなり、横手盆地は有数の豪雪地帯となっています。

   梅雨期は太平洋側に比べ日照時間が多く、晴れた日が続くことが多いですが、梅雨末期に大雨となる年もあります。夏は、湿った海からの風が吹く太平洋側の地域とは違い晴れの日が多く、気温も高く、 真夏日や熱帯夜も多くなっています。夏に北日本に冷害をもたらす冷たい気流「やませ」は、奥羽山脈に遮られるため、県北の一部を除きほとんど影響を受けません。

   田沢二期地区近傍の大曲地点の平年値の降水量は、1735.7mm(統計期間:1981~2010)となり、月別では3月~4月が比較的少なく、7月~8月が多くなっています。大曲地点の平均気温を見ると、8月に24.1℃となり、1月から2月は零度以下となっています。1976年以降の日最高気温は37.6℃(2000年7月31日)、日最低気温は-17.6℃(1986年2月2日)を記録しています。

大曲の降水量大曲の平均気温

 

<主な引用・参考文献>

秋田地方気象台ホームページ

仙北平野の農業

   仙北平野は、今でこそ県下のみならず東北地方で有数な農業地帯となっていますが、昭和初期からの大規模な開墾、農業水利事業以前は、原生林が広がり、その間に湿田が点在する荒野でした。今日の仙北平野の農業発展は、多くの先人のたゆまぬ努力の賜です。

江戸時代

   佐竹藩は、1602年(慶長7年)の秋田への転封後、年貢等の算定基礎となる検地を行い、また新田開発を奨励しました。新田開発により、1625年から1713年までに藩内で1.4倍に石高が増加しています。しかし仙北地方では、山地が占める地域が多く、しかも扇状地のため標高差が大きく水利の便が悪いため開発が他地域より遅れていました。江戸時代中期の1705年以降、藩内では宝暦、天明、天保の飢饉や凶作が頻発したため農村が疲弊し、新田開発が停滞しましたが、このため秋田藩は財政を改善するため、新田開発の開墾者に対する減免や特典を設けるなどの政策を行いました。1870年代頃までには、開田面積が増加に転じています。

   仙北地域での新田開発として、文政8年(1825年)に秋田藩主佐竹義厚公(よしひろ)により、白岩村(現仙北市角館)広久内地先の玉川に堰を設け、左岸から南六郷に向かう28kmの素掘り水路(御堰(おせき)と称した)を開削し、約3,000町歩(1町歩=約0.9917ha)の開田が計画されました。1825年(文政9年)着手され、1833年(天保4年)に完成しています。これによって山林原野約200haの新田開発とともに古田の補給水として利用されました。これが現在の田沢疏水の始まりです。疏水完成後、水路の決壊等があり修繕や改善をしながら利用されましたが、1854年(安政元年)の大洪水により玉川の堰を始め水路が壊されてしまいました。

明治時代~大正時代

   1871年(明治4年)に秋田県が誕生しました。明治初期には明治政府により、士族の帰農帰商、地租改正条例の公布等の施策が実施され、殖産興業施策が推進されました。西洋農法の導入、改良資金の交付等により農業振興(勧農施策)も進められました。明治前期の秋田県は、幕末期にみられた開墾や農業水利開発よりは、明治11年に始まった種苗交換会(平成23年に、第134回秋田県種苗交換会が開催されました。)をはじめ農業技術面での振興施策が中心でした。明治後期に入り、政府は明治32年に耕地整理法を公布し、新しい技術である乾田馬耕法を推進し積極的な農政に転じました。また、同年農会法が制定され、農業技術普及を行う組織が農村に形成されました。秋田県では、明治37年、38年に堆肥舎築改規則、水稲乾燥実施規則、乾田実施規則の三県令を公布し、より強制をもって改革を進めました。しかし、当時乾田馬耕の熱心な指導者、推進者の努力にもかかわらず、農家はこれまでの慣行農法に頼り、またかんがい用水(水源)の確保が必須でもあることから、水田の乾田化は大正6年に全県で約69%にとどまっています。乾田馬耕、耕地整理、農会(農業技術普及)等の推進により、大正10年までに全県10万町歩の5分の1に当たる二万二千町歩に耕地整理施工の認可が下りその90%が完了もしくは施工中の状況になりました。

昭和時代

   大正時代の中頃から農地の転用が目立ち始め、農地の補充が必要となりました。食料需給が逼迫したことから、当時の農林省が全国で集団開墾適地について土地利用計画を立てました。秋田県では、仙北地域の神代村外2ヶ町村及び白岩村他9ヶ町村の2地区に対して土地利用計画が立てられましたが、この計画は、田沢湖、玉川及び新設のため池等を用水源として、1,640haの開田を行うものでした。たまたま昭和11年4月東北振興電力株式会社が設立され、田沢湖及び玉川の河水を調整利用して玉川に発電事業を行うことになりましたが、その水利用計画について、開墾計画と両立させるために、当時の内務、逓信、農林省の三省間で協議が成立し、農林省は、田沢疏水開墾の計画を策定し、昭和12年3月第70帝国議会の協賛を得、国営田沢疏水開墾事業が開始されました。以来この玉川河水統制計画により玉川流域の水利調整がなされ、時代のニーズに合わせ、開墾、水利事業が実施されていきました。

   昭和20年8月の終戦後には、厳しい食糧危機に直面したため、食糧増産と戦災、海外引き揚げ者の雇用対策を目的に、開拓を促進するため各種事業が進められました。

   昭和30年代に入り、開拓から経営規模拡大の動きが活発となり、農地造成により経営規模を拡大し、農業構造の改善と自立経営の育成を図るため、開拓と基幹から末端までの水利施設を一貫して施工するモデル事業として開拓パイロット事業制度が制定され、国営、県営等の事業が実施されました。仙北平野では、国営第二田沢開拓建設事業が全国第1号の地区として行われました。

田沢疏水に係る国営事業

(1)国営田沢疏水開墾事業(昭和12年度~昭和37年度)

  昭和12年度~昭和37年度に実施された 国営田沢疏水開墾事業は、山林原野などの開田を行い、土地利用を増進し農村経済の改善を図ると共に、開墾地には自作農を増やし優良な農村を創造するために、取水量は玉川左岸から12.25m3/s、右岸から2.66m3/s、幹線水路(左岸31.26km、右岸2.6km)、開田地区2,500町歩(内1,700町歩は地元小農家の増反、800町歩は入植者向け)、として計画されました。

   昭和12年から主要工事を農林省、他の工事を秋田県及び地元耕地整理組合が分担し着工しました。昭和18年の農地開発営団の発足と同時に営団に継承されましたが、昭和22年の営団の閉鎖により再び農林省の直轄事業として行われるという経過を経て、当初計画の事業期間は、戦争のため大幅な延長を余儀なくされました。開墾工事は、当初人力により行っていましたが、昭和30年代に入りブルドーザーによる土木工事の時代を迎え、年間500ha以上の開墾が可能となり、昭和37年に竣工しました。

田沢疎水事業概要図1
田沢疎水事業概要1

抱返頭首工

抱返頭首工

幹線用水路

幹線用水路

神代郁野開墾地

神代郁野開墾地


 (2)国営第二田沢開拓建設事業(昭和38年度~昭和45年度)

   昭和38年、既存農家の自立的な農業の基盤を整備する国営総合開拓パイロット事業として実施されたのが、昭和38年度~昭和45年度の国営第二田沢開拓建設事業でした。玉川水系にある神代調整池の左岸から取水する第二田沢幹線用水路25.6kmの新設をはじめ、地区内の支線、小支線、小用水路、田沢疏水の受益地より更に一段高い東側にある未墾地507haの開拓、農道等まで一貫施工しました。

第二田沢事業概要図
第二田沢事業概要

完成した幹線用水路

完成した幹線用水路

建設中の斎藤川水路橋

建設中の斎藤川水路橋

斎内川水管橋

斉内川水管橋

 

 (3)国営田沢疏水農業水利事業(昭和54年度~平成元年度)

   国営田沢疏水開墾事業で造成された施設は、戦中戦後の資材不足の時代に施工され、施工後30年以上が経過し老朽化が著しく維持管理費用も増加していたため、昭和54年から平成元年度へかけて国営田沢疏水農業水利事業を開始し、水利施設の改修を平成元年3月に完了しました。また受益面積3,890ha地区内の用水の利用計画の見直しも行いました。

田沢疎水事業概要図2
田沢疎水事業概要2

 

旧抱返頭首工

旧抱返頭首工

改修後の抱返頭首工

改修後の抱返頭首工

改修後の左岸幹線水路

改修後の左岸幹線水路



現在

  (1)施設の老朽化 

   国営事業の第二田沢開拓建設事業及び田沢疏水農業水利事業により造成、改修されてきた頭首工、幹線用水路等の基幹水利施設は、整備後20年~40年以上経過し、老朽化が著しく進んできています。コンクリート水路の鉄筋の露出、トンネルや水路の目地からの漏水や鋼製設備の腐食が進んでおり、補修、補強、改築が必要となっています。このために、農業用水の安定供給に支障を来たしているとともに、施設の維持管理経費と労力が年々大きくなってきています。

鉄筋露出・目地からの漏水

鉄筋の露出      目地からの漏水

サイホン目地からの漏水

サイホン目地からの漏水



   (2)国営田沢二期農業水利事業

   老朽化した頭首工、取水口及び幹線水路等の改修、改築と併せてかんがい用水の利用計画の見直しを行い、関連事業による区画整理事業を実施することで営農の合理化を図り、農業生産の向上と農業経営の安定を目的として、平成23年度から田沢二期農業水利事業を開始しました。

   また農業用水は田畑に水を送り農業生産を支える一方、地域住民に良好な親水空間の提供、火災発生時の消火活動や野菜などの洗浄、積雪時の消流雪用雨水として利用されています。農業用水が従来から持っているこれらの機能を「地域用水機能」と呼んでいますが、この機能の増進を併せて図ることとしています。

 

<主な引用・参考文献>

「仙北土地改良誌」仙北土地改良協会(平成元年2月)

「田沢疏水」東北農政局田沢疏水農業水利事業所(平成2年3月)

「疏水の歩みを語る」:秋田県田沢疏水土地改良区(平成9年10月)

「国営田沢二期土地改良事業計画書」(平成24年3月)

  

お問合せ先

田沢二期農業水利事業所
〒014-0052 秋田県大仙市大曲川原町9-17
電話:0187-66-3255
FAX:0187-66-3271