水橋地域の歴史
本地区の富山市水橋(以下「水橋地域」という。)は古くからの交通の要衝であり、『延喜式』(927年)には古代北陸道の駅家として「水橋」の名を現す宿駅が記されています。この「水橋駅」に相当すると考えられる遺跡は、水橋荒町・辻ヶ堂遺跡で見つかっており、堀立柱、建物、井戸、溝、道路跡などが発掘されています。
また水橋地域は、北側は日本海に面し、上市川と常願寺川に挟まれ、白岩川を中心とする沖積地に位置するという立地環境から、良港として船舶の出入りが多く、宿場として栄えており、陸運だけでなく水運の要としても発達していました。当時、常願寺川と白岩川の合流点から河口までは「水橋川」と呼ばれ、明治2年には水橋川に初めて「立山橋」が架けられました。神木を多く伐り出し、橋畔には「水神社」を建立し、川の安泰を願ったとされています。
明治から昭和初期頃までは、五百石船や千石船が水橋川の河口を基地として、北海道、樺太などに盛んに船出しており、町は大変な賑わいをみせていました。
旧水橋川に架かる立山橋
水橋地域では、各河川を水上交通の手段として利用するほか、水稲耕作のかんがい用水や生活用水として利用してきました。用水は、現在の大字を意味する「村」の共有財産として管理され、水路の掃除を行う「江ざらい」は村総出の互助慣行として行われました。また、村が管理する水路から各自の田へ水を引く「エーガワ」(小さな水路)は、村の江ざらいの翌日などに個人により管理され、洗い場を設置するなどして様々な場面で利用されてきました。
地域の特徴的な文化としては、水橋地域を含む富山県内の平野部は地下水が噴出する地帯であることから、「自噴井戸(自噴井)」が多く見られ、洗い場としての利用や街歩きの拠点になるなど、豊かな水環境を背景とした文化が形成されています。
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