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関東農政局

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さらに詳しく  「こぼれ米」と貞享騒動

  安曇野(あずみの)扇状地の中央部のように貧水地帯の水田は、「こぼれ」という品種の米を作付けしていました。「こぼれ」とは脱粒性が高く(熟したときに種子が穂から落ちやすい)、風害に弱く、食味も劣るという低品質の米でしたが、日照りに強く、湿田や乾田に作付けしても生育が早いという特徴があり、収穫量の多い早出し米として条件の悪い地域では好まれた品種でした。

  ところが、この「こぼれ」のモミには長いノギ(モミの先から出ている鋭い毛)が付いており、このことが大変な騒動を起こす原因となりました。

  当時、松本藩では年貢米はモミ納めであり、1俵は5斗3升、また、その5斗3升のモミをすって玄米にしたときには3斗なければならないと規定されていました。

  ところが貞享3年(1686)、その年は不作でしたが、これからは1俵の籾から玄米が3斗5升取れるように収めよというお達しが出て、年貢収入役が村々で厳しく監督を行なったのです。ちなみに、周辺の他藩の規定は、1俵あたり玄米2斗5升でした。

  玄米を多くするためには、「こぼれ」特有の長いノギを取り除き、俵にぎゅうぎゅう詰めにしなければなりません。ノギを取り除くには、モミを桶に入れ、新しいワラジを履いて踏みつけるのです。他藩の1.4倍にもなる増税であり、しかも農民にノギ踏みという余分な労力を強いるものでした。

  「どこまで農民を愚弄する気か」と農民は立ち上がります。この寄合いのリーダーとなったのが、中萱村(旧三郷村)の名主で土豪の系譜を持つ名家の出身、多田加助(ただかすけ)でした。

  安曇郡、筑摩(ちくま)郡の村役人(農民代表)たちが中萱村の熊野権現社に集まり、「1俵2斗5升への減免」など5か条におよぶ「御訴訟口上之覚」をまとめて奉行所に訴えます。

 

  しかし、藩は「これは違法である」として受け付けません。この話はまたたく間に村中に伝わり、農民たちは蓑傘をかぶり続々と城下に押し寄せます。その数、実に1万人。勢いづいた農民は御用商人たちの家を打ち壊しにかかりました。

  おりしも藩主は参勤交代で不在であり、事態にあわてた城代家老は加助らの要求を認める家老連判の証文を出し、引き取らせます。そして、江戸表の藩主に連絡を取りました。

  こうして、訴訟は農民の勝利に終わったかにみえました。ところが、1か月の後、藩から、これは正当な手続きを踏まない強訴であるとの裁決が下り、加助ら村役人8名が磔の刑、主格級の農民4人と家族16人を合わせた20人が獄門と、計28人の農民が極刑に処せられました。後に、加助を祭神とする貞享義民社(じょうきょうぎみんしゃ)が建てられました。

  この話は千葉の佐倉義民伝(さくらぎみんでん)と並んで教科書にも載り、また、大正時代になって小説や戯曲となり、東京の歌舞伎座でも6代目尾上菊五郎(おのえきくごろう)によって上演されています。


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