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東北農政局

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地域における農業用水確保の歴史

慶長年間から昭和初期まで

本地区における農業用水確保の歴史は、慶長年間(1600年頃)に遡り、小刀堰(現在の横手市清川町付近)を木材で築造したとされています。

旭川(現 横手川)は流域面積が小さく、河川勾配も急であることから、用水期には渇水となり、降雨期には河川の氾濫により水路や水田にも土砂が堆積するという状態であり、その復旧に莫大な労力を要し、用水等を巡る争いが常に絶えませんでした。

そのため佐竹藩では、天保12年(1805年)に取入堰に関して規定を設け、「御定書及び添付図面」により改修等を行う場合でも必ずこれを厳守するよう命じました。

とはいえ、旭川の水量は水田面積に対して充分ではなかったため紛争が絶えず、寛永年間より天保年間(1624~1844年)までの200年間で訴訟に持ち込まれたことが70回あまりあったとの記録が残っています。



【横手川(旭川)壱之堰より四之堰迄水掛略図】
(天保12年御定書添付図面)
(秋田県土地改良史より)
それでも「天保12年藩の御定書」は厳守され、ほとんど変更されませんでしたが、人口の増加に伴い開発が進むと水量が次第に枯渇し、用水確保のため莫大な労力を必要としたほか、収量の減少により農業経営が圧迫され、大正期には限られた水量に対して「天保12年藩の御定書」を維持することが困難になったことから、新たな水源と恒久的な施設を望む声が大きくなってきました。

昭和7年以降、大沢、牛沼、熊の堂の各ため池を改築しましたが、年々水源の枯渇による用水不足が深刻となり、作付け不能あるいは遅延による減収が莫大でした。また、応急対策として地下水を利用した揚水機93か所を設置しましたが、冷水温による莫大な減収や取水堰10か所の融雪時における災害復旧及び維持管理が容易ではなく、農業経営上重大な危機に遭遇しました。

国営雄物川筋土地改良事業 旭川地区(昭和21~55年度)について

このようなことから、昭和14年、横手盆地を一団とする土地改良の基本計画策定に向けて秋田県耕地課が調査を開始し、昭和20年に計画を取りまとめ、翌21年度から国営雄物川筋土地改良事業が着工しました。

事業の内容は、平鹿郡山内村(現 横手市山内)に「あいののダム」を築造し、10か所の堰を新一の堰頭首工と新上堰頭首工の2か所に統合するとともに、旭川左岸幹線用水路9.8km及び旭川右岸幹線用水路3.3kmを新設することによって用水の合理的配分を行い、地区内93か所の揚水機を全廃するものでした。

あいののダムは当時アースダムとして日本一の堤高を誇り、堤体の中心にフィルタードレーンを設置した新工法で築造され、施工に当たっても農業用ダムとしては初めての機械化を行ったものでした。



  

お問合せ先

旭川農業水利事業所
〒013-0018
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