牧之原台地開発の歴史
1.砂礫台地の開拓
江戸時代が終わり、徳川15代将軍慶喜に仕えていた武士達は職を失ったことにより、刀を鍬に持ちかえ、明治2年、幕府の領地であった牧之原の開拓を開始しました。
また、大井川川越制度が明治3年に廃止されたことにより、失職した川越人足も入植しました。
2.茶栽培の開始・拡大
江戸末期、開国により、海外貿易が開始され、主要輸出品目は生糸と茶であったため、当地でも茶の栽培をすることになりました。
明治中期以降になると、士族や川越人足が離散し、地元農民が中心となり、開墾と茶生産を継続していました。
そして、大正初期には牧之原台地のあらかたの土地が拓き終わりました。
3.茶産地の水不足
牧之原台地は、開拓当初から水不足は深刻でした。また、茶の生産は天候に大きく左右され、春先に寒波が襲ったり、異常乾燥が続くと、幼木は枯死し、成木では品質低下をまねき、減収を余儀なくされていました。
茶の生産技術の進歩に伴い、病害虫防除、施肥のための水が多く必要となり、住宅や小屋の屋根などの雨水を水槽に貯めたり、台地下の水源から水を何往復も運搬するなどの苦労を重ねていました。
このような状況から「牧之原に水を」が地域の念願となり、県、国への事業推進活動に発展しました。
4.国営牧之原土地改良事業の実施
昭和53年度ついに、牧之原の広大な茶園地帯に、かん水・病害虫防除・施肥・凍霜防止等の多目的かんがいを行い、生産性の向上と農業経営の安定を目的とした国営牧之原農業水利事業が着手されました。そして、平成9年度に事業が完了し、全国有数の茶産地として発展を続けています。
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