「過去の復興事例等の分析による東日本大震災への示唆~農漁業の再編と集落コミュニティの再生に向けて~」の公表について
プレスリリース
農林水産省
農林水産省(農林水産政策研究所)は、過去の災害からの復興事例等を分析することで東日本大震災からの復興への示唆を抽出する研究成果を取りまとめました。
1 研究方法
過去の復興事例(雲仙普賢岳の噴火、北海道南西沖地震(奥尻島)、阪神・淡路大震災、三宅島雄山の噴火、新潟県中越地震(旧山古志村等)、昭和三陸津波等)や大区画圃場整備事業の実施地区に関する文献の分析等により、東日本大震災の被災地における農漁業の担い手の確保、復興後の集落コミュニティの再生に向けた示唆を抽出しました。
2 研究成果の概要
(1) 過疎化の進行に加え、地域外への避難が長期化した三宅島、旧山古志村では人口が大きく減少し、被災の復興過程で就業の場を十分確保できなかった奥尻島では高齢化が加速しています。また、そのことが、被災前から困難のあった農業、漁業の担い手不足を深刻化させています(参考表参照)。
(2) 他方で、雲仙普賢岳の噴火の被災地では、農家数が半減したものの、土石流の上に嵩上げして、大規模な畑作団地を形成し、農地の利用集積も合わせて実施することで、畑作農家の1戸当たり経営面積が0.8haから1.3haへと64%増加し、農業所得も46%増加しています。また、中越地震で被害の大きかった166集落でも、営農体制の再編・強化に向けた支援が行われ、156集落(94%)で営農体制が整備され、うち29集落(19%)では法人組織が設立されており、共に、地域農業の担い手確保に向けた動きが進展しました。
(3) 今回、分析対象とした過去の被災地には大規模な平野地域がなく、大区画圃場整備事業は実施されていないため、同事業の実施地域に関する文献を収集・分析しました。その結果、大規模な個別経営や組織的な取組がない地域でも、大区画圃場整備事業の実施により、農地の所有と利用の分離、大型機械の導入が行われるのを機に、集落営農組織、機械利用組合等を立ち上げることで、地域の将来の担い手を確保している事例を数多く把握することができました。
(4) 地域外への避難が長期化した三宅島、被災後の高台への移転が部分的なものとなった奥尻島では、既存の集落コミュニティが壊れましたが、反面、新たなコミュニティの形成や、地域外の人を地域コミュニティに取り込む動き等が見られます。
なお、被災した集落コミュニティの再生の場所については、昭和三陸津波では、津波で被災した136集落のうち107集落(79%)が高台移転し、うち39集落(29%)が集落全体での集団移転を実施しています。さらに、岩手県大船渡市吉浜地区等では、今回の震災まで、低地への移住を防ぎ、集団移転の状況を維持しています。
災害名・発生年次 |
人口 |
高齢化率 |
三宅島雄山噴火 |
1995年 → 2005年 4,054人 → 3,189人(▲36%) |
1995年 → 2005年 24% → 37% |
新潟県中越地震 |
2004年 → 2009年 2,167人 → 1,406人(▲35%) |
2004年 → 2009年 37% → 42% |
北海道南西沖地震 |
1990年 → 2000年 4,604人 → 3,921人(▲15%) |
1990年 → 2000年 16% → 24% |
阪神・淡路大震災 |
1995年 → 2005年 162,738人 → 151,391人(▲7%) |
1995年 → 2005年 22% → 27% |
注:高齢化率と、全人口に占める65歳以上人口の割合である。
災害名・発生年次 |
農家数 |
漁業従事者数 |
三宅島雄山噴火 |
2000年 → 2010年 124戸 → 45戸(▲64%) |
2000年 → 2008年 1,125人→ 528人(▲53%) |
雲仙普賢岳噴火 |
1989年 → 1995年 2,410戸 → 1,130戸(▲47%) |
- |
北海道南西沖地震 |
- |
1990年 → 2000年 418人 → 206人(▲49%) |
注:三宅村は販売農家数、島原市、深江町は総農家数で、いずれも農林業センサスによる。
3 その他
研究成果の詳細につきましては、農林水産政策研究所のホームページで紹介しています。
https://www.maff.go.jp/primaff/seika/nosanson/hukko.html
<添付資料>(添付ファイルは別ウィンドウで開きます。)
お問合せ先
農林水産政策研究所
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