1.農耕の始まり
東中根遺跡
日本で農業が行われるようになったのは、弥生時代のことだといわれています。大陸から伝わってきた稲作の技術は、北九州を通って、西日本へと広がっていきました。そのため、地理的に遠い位置にある関東地方に伝わるまでには、比較的時間がかかったようです。
ひたちなか市で発見された東中根(ひがしなかね)遺跡は、茨城県で米や集落の跡などが見つかった最も古い遺跡ですが、時期的には、弥生時代の後期のものだと考えられています。遺跡は、本郷(ほんごう)川と中丸(なかまる)川という小河川に挟まれた台地上に位置しています。
農業を行うには、当然のことながら、川から水を引いてくる必要がありますが、古代の原始的な技術では、水路や堰を作ることは容易ではありませんでした。そのため、大河川である那珂川の沿岸で農業を行うのは難しかったのでしょう。人々は、水の引きやすい小さな河川沿いの谷で小規模な農業を営み、台地上に集落を構えたものと考えられます。
また、那珂川の沿岸では、川の氾濫による水害の被害を受けやすかったということもあったのでしょう。沿岸での大規模な開発が進められるのは、まだ先の話になります。
弥生・古墳時代の遺跡分布
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