2. みどころ【地域情報】
佐原の町並み
江戸へ物資を運ぶための舟運で栄えた佐原(さわら)は、「お江戸見たけりゃ佐原へござれ佐原本町江戸まさり」と戯歌(ざれうた)に唄われるほど隆盛を極めた商都です。現在も江戸時代後期の商家が残り、昔からの家業を引き継いでいる点からも「生きている町並み」と評され、国の重要伝統的建造物保存地区に選定されています。この中には、50歳を過ぎて全国を測量して歩き日本地図を完成した伊能忠敬(いのうただたか)の旧宅や記念館もあります。小野川に面した商家の正面には「だし」と呼ばれる荷揚げ場があり、観光船の乗船場として今も利用されています。また、7月と10月には関東三大山車祭りのひとつとされ、約300年の伝統をもつ「佐原の大祭」が開催されます。
写真提供:香取市
神崎神社
およそ1,300年前の白鳳(はくほう)時代からつづく神崎神社(こうざきじんじゃ)は、交通や産業守護の神として信仰されている天鳥船命(あめのとりふねのみこと)を祭神としています。7,000坪に及ぶ境内に生い茂る神崎森は、江戸時代には利根川(とねがわ)を航行する船人たちの目印として唄にもうたわれています。中でも国の天然記念物として指定されている神崎の大樟(おおぐす)は、徳川光圀(みつくに)公が「この木は何というもんじゃろうか」と自問自答したとされ、「なんじゃもんじゃの木」として親しまれています。ここで毎年2月3日に行われる節分祭には、その年の福を呼び込もうとたくさんの人が境内につめかけます。
写真提供:神崎町
成田山新勝寺
「成田のお不動さま」として親しまれる成田山新勝寺(なりたさんしんしょうじ)は、真言宗智山派(しんごんしゅうちさんは)の大本山で、関東三不動のひとつです。寛朝大僧正(かんじょうだいそうじょう)によって940年に開基され、以来、千年以上の歴史を持つ全国有数の霊地となりました。広い境内には数多くの重要文化財があり、そのひとつ「仁王門(におうもん)」から下がる大提灯には「魚がし」と書かれています。魚河岸による大提灯奉納は江戸時代からの習わしでした。また、父が成田出身で、成田不動尊の熱心な信者であったことから成田屋(なりたや)の屋号を名乗る市川団十郎(いちかわだんじゅうろう)との縁も深く、歌舞伎を通じて江戸庶民の間にも成田不動の話題が沸騰しました。いつしか成田山詣でが江戸庶民の憧れになったのです。
写真提供:成田山新勝寺
茂原牡丹園
江戸時代の民家と山里を背景に、250種(2,500株)の牡丹(ぼたん)と、130種(500株)の芍薬(しゃくやく)で彩る庭園は、広さ5,000m2におよび、現在も品種の保存と改良に努めています。民家の母屋は享保年間(1730年代)、長屋門(ながやもん)は天保年間(1840年代)の建造によるもので、国の文化財にも指定されています。また、ここは故速水御舟(はやみぎょしゅう)画伯の故郷であり、大作を描いたゆかりの地でもあります。
写真提供:茂原市
芥川荘
大正5年の夏、一宮館旅館の離れに作家の芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)が滞在したことにちなんで、「芥川荘(あくたがわそう)」と名付けられ、明治30年代の木造平屋建て・萱葺(かやぶき)の建物が当時の趣きのまま大切に保存されています。滞在中、龍之介は後に妻となる塚本文(つかもとふみ)に求婚の手紙を送り、一宮での思い出は「海のほとり」などいくつかの作品に登場しています。ほかにも、夏目漱石(なつめそうせき)や尾崎紅葉(おざきこうよう)など、一宮には昔から数多くの文人たちが立ち寄りました。明治から昭和初期にかけて、一宮川(いちのみやがわ)沿いや海岸には100軒近くの別荘が建ち並び、「東の大磯」として賑わったといいます。
写真提供:一宮町
香取神宮
神武天皇(じんむてんのう)の時代に創建された香取神宮(かとりじんぐう)は、日本書紀の国譲り神話に登場する経津主大神(ふつぬしおおかみ)を祭神とし、明治以前に「神宮」の称号を与えられた伊勢神宮に並ぶわが国屈指の名社です。権現造(ごんげんづくり)の本殿は、元禄13年(1700年)に徳川5代将軍綱吉(つなよし)が造営。その時に共に建造された朱塗の桜門(さくらもん)前には、徳川光圀(みつくに)の手植えと伝えられる黄門桜(こうもんざくら)があります。また、宝物の中には、国宝の海獣葡萄鏡(かいじゅうぶどうきょう)をはじめ、古瀬戸横涌釉狛犬(こせとおうゆうこまいぬ)や双竜鏡(そうりゅうきょう)など、国・県指定の文化財だけでも200点余を所蔵・所有しています。
写真提供:香取市
大原幽学記念館
今から約200年前、天保・嘉永・安政にかけての混乱した世相の中で、大原幽学(おおはらゆうがく)は長部村をはじめとする房総の各地で農村改革運動を指導し、世界ではじめての農業協同組合「先祖株組合」をつくるなど大きな実績を残しました。道徳と経済の調和を基本とした性学(せいがく)を説きましたが、急激な性学運動の発展は幕府の怪しむところとなり、有罪をうけて失意のうちにその生涯をとじました。400点を超える幽学関係資料は、平成3年に国の重要文化財に指定され、平成8年には幽学関連資料、郷土の歴史・民俗に関する資料を保存公開するための施設として大原幽学記念館が設立されました。
写真提供:旭市
雄蛇ヶ池
雄蛇ヶ池(おじゃがいけ)は、当時の代官・嶋田伊伯が周辺10カ村の干害を救うために、10年にわたる難工事の末、慶長19年(1614年)に完成させた農業用の溜め池です。雄蛇ケ池という名は、伊伯の夢枕にたって着工を促した蛇神に由来するといわれ、湖を七回り半するとその蛇神が姿をあらわすという言い伝えがあります。周囲は緑の丘陵に恵まれ、湖周には約3.3kmの遊歩道に4つのあずまやがあり、展望を楽しめるハイキングコースとしても人気があります。その風景の美しさから「房総十和田湖(ぼうそうとわだこ)」とも言われ、現在は県立九十九里自然公園に指定されています。
写真提供:東金市
成東・東金食虫植物群落
九十九里(くじゅうくり)平野のほぼ中央に広がる成東・東金食虫植物群落は、大正9年(1920年)、日本で初めての天然記念物に指定されました。これまでに約300種類以上の植物が記録され、群落には現在も2科7種類の食虫植物が生育しています。昆虫などを捕まえて、それを自分の栄養にしてしまう食虫植物が生育するこの湿原は、近くを流れる作田川(さくだがわ)の水によって湿潤さが保たれ、ほかにも美しい花を咲かせる植物や貴重な野草が多く生育し、四季折々に訪れる人々の目を楽しませてくれます。
写真提供:成東観光協会
長柄ダム
昭和60年(1985年)に完成した長柄(ながら)ダムは、コンクリートではなく土を盛り上げて作られたアースダムで、水を通しにくい粘土(関東ローム)を中心に盛り上げています。ダムの高さは52m、長さは250mで、満水になった時には水面は海抜75.1mに達し、このタイプでは国内最大級です。房総導水路を流れてきた水はこの長柄ダムで蓄えられ、それによって生まれた市津湖(しづこ)のほとりには、長柄自然休養村や4.4kmの周遊道などがあります。
写真提供:(財)日本ダム協会
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農村振興部設計課
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