3.水路を引くむずかしさ【第3章「農」が造った国土】
平野さえあれば、水田ができるのかといえば、そうでもないのです。例えば、栃木県の那須野ヶ原は、大阪市の2倍近い約4万haという広大な平原でありながら、古代から一度も耕されたことのないという無人の原野でした。水がなかったためです。明治になって那須疏水が完成するやいなや、那須野ヶ原は県内でも有数の農業地帯に生まれ変わりました。要するに、いくら平野があっても、引いてくる水がなければ水田はできないわけです。
水路を造るには単に地面に溝(みぞ)を掘ればいいと思われがちですが、道路を造るように簡単にはいきません。ある村が水路を引く場合を考えてみます。
- 近くに川が流れています。しかし、川はその地域の一番低いところを流れているので、ポンプでもない限り、近くの川の水を吸い上げることはできません。川から水を取る位置(水路の入口)は、少なくともその村の標高よりもずっと高いところ、川のはるか上流になります。そこから長い水路を造って村の水田にまで引いてこなければなりません。
- 平野は平らに見えても、実際に村にたどり着くまでには丘があったり、谷間があったりとたくさんのデコボコがあります。それらを避けながら、徐々に下ってくる水路にしないと、水はその村まで流れてきません。
- その水路は、自分のところに達するまでに他の村の土地を通ってきます。その村に拒否されたら通せません。水路でつぶれる土地(農地)を、どんな高い値段をつけられても買い上げないといけません。
- そのまま土地に水路を掘っただけではすぐに崩れてしまいます。土手を石垣などで固めたり、水が地中に染み込んでしまわないような工夫も要ります。コンクリートのなかった時代は、水路を造るにもかなり特殊な土木技術が要求されたのです。
- さて、ようやく水路が引けて、村の田んぼに水が流れてくるようになったとします。しかし、問題は大雨のときです。大きな川には濁流があふれ、こともあろうに自分たちの造った水路をつたって村に洪水が押しよせてくることになるのです。
- 洪水を恐れて、川から少ししか水が入らない構造にすれば、今度は夏の渇水時に水は取れないことになります。川の水かさは増えたり減ったりと一定ではないのです。
ざっと想像するだけでも、たいへんな技術と苦労、資金が要ることが分かりますね。この水路を造る難しさも、新田を増やせなかった大きな理由でもありました。
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