8.江戸の水系社会【第3章「農」が造った国土】

ヨーロッパを悩ませてきた疫病も日本では幕末の外国船が入ってくるまではなかったようです。明治の頃、日本を訪れた外国人は、みな一様に都市の清潔さに驚いています。その頃東大教授であったモースという学者も、「アメリカで不完全な便所や排水に起因するとされている病気の種類は、日本には無いか、あっても非常に希であるらしい」と日本の水系社会を褒め称えています。
また、この頃になると、藩直営の何10kmにも及ぶ大規模な水路も生まれてきます。徳川幕府が造った葛西用水(延長約70km)、見沼代用水(約100km)は、それぞれ独立した用水ながら、自然河川や排水なども取り入れながら複雑な一大ネットワークを形成し、広大な関東平野を隅々まであますところなく潤しています。こうした水路の流れは、ポンプやパイプもない時代ですから、すべて自然流下(位置エネルギー)によるものです。
「水に流す」「水くさい」「水を向ける」「水をさす」「水いらず」・・・、日本語には水に関する言い回しが多く、外国語に訳せない言葉もたくさんあります。これは、日本人がいかに水と親しみ、あがめ、また怖れて暮らしてきたかを物語っています。民俗学者柳田国男は、水をめぐる社会のキメの細かさは世界に類がないとたたえています。
国土そのものが持つ浄化の能力も見逃せません。幕末の頃、日本の水は赤道を越えても腐らないと船乗りの間では有名だったそうです。戦前まで、信濃川の河口の水を茶の湯にしたとのこと。琵琶湖の水も煮炊きに使っていました。
ともかくも、江戸260年の長きにわたって、私たちの先人は世界でもまれに見るほど高度な水系社会を築き上げてきたのです。ドイツの農学者マロンは「日本農業では物質の循環が見事に完結し、数千年にわたって地力の減耗はまったく見られない。(中略)自然力の完結した循環の壮大な図式が成り立っており、連鎖のどの環も脱け落ちることなく次々と手をとりあっている」と報告しています。
外国の農学者が驚いたように、日本の「農」は、何百年におよぶ二次的自然の形成により「自然力の完結した循環の壮大な図式」を築き上げ、「連鎖のどの環も脱け落ちることなく次々と手をとりあっている」状態を創り上げてきたということになるのです。
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