さらに詳しく神流川石合戦(かんながわいしがっせん)
「農民六十余名負傷、群馬、埼玉両県民の水争いで/血まみれの石合戦*1,500人が7/21午後4時、神流川を挟んで衝突。」-これは当時の新聞が報道した記事です。
「水争い」とは、雨が降らず水不足の時に、少なくなった川の水を奪い合う争いのことです。上流に位置する堰が水を全て取ってしまえば、下流に水が行かなくなって農業ができなくなってしまいます。水を得ることができなくなってしまった農家は、生活が困窮し、悪くすれば一家が餓死するかもしれません。いわば生死をかけての出来事だったのです。
神流川が上州(じょうしゅう)(群馬県)と武州(ぶしゅう)(埼玉県)の境を流れていることも、対立を激化させた原因だったといえるでしょう。神流川頭首工や下久保(しもくぼ)ダムができたことによって、それ以後、水争いは無くなりました。
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