さらに詳しく 両総用水の貢献者
十枝雄三(とえだゆうぞう)翁は両総用水の提唱者であり、その実現に生涯を捧げた人でした。明治6年東金市押堀に生まれた翁は、福岡村(現東金市と大網白里町に分割)の村長時代、小中川ダムの建設に尽力しますが、昭和15年の大干ばつに際して、利根川(とねがわ)引水事業の決行を決断し、すぐさま周辺6カ村の村長に呼びかけ組織を作ります。この事業の同志である佐原(さわら)地区の坂本斉一氏と相謀って同16年4郡(香取・海匝・山武・長生)51ケ町村の結束を固め、「両総用排水改良事業期成同盟」の会長となり、続いて「両総普通水理組合」も開設、その実現を県や国に強く要望し、東奔西走の活動を展開します。翁らの必死の請願が実り、やがて農地開発営団の事業が発足します。戦後、工事が中断した折も、十村翁や坂本氏らはGHQにも陳情を繰り返し、やがてアメリカから「見返り資金」5億円の承認を得ることになりました。
しかし、翁は昭和31年、両総用水の完成を見ないまま84歳で逝去。大網白里町は名誉町民第1号としてその遺徳をたたえ、同32年「十枝雄三頌徳碑」(大網白里町北吉田)を建てています。また、同町には翁にちなむ「十枝の森」という町営の森林があり、平成19年にはこの森に「十枝雄三翁胸像」が建立されました。
さらに地元には、両総用水の貢献者として、前述した坂本斉一翁の頌徳碑(香取市水源橋)、旧日吉村の名村長とうたわれ、両総用水の発案者である鈴木伊平翁の頌徳碑(横芝光町明光院)などが建てられています。
十枝雄三翁
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