このページの本文へ移動

関東農政局

メニュー

さらに詳しく 桓武平氏の台頭

  当時、上総(かずさ)は下野や常陸(ひたち)とならんで親王国とされ、国の長官(守)には親王が任命されましたが現地に赴任することはなく、実際にはその下にあたる「介(上総介)」が国の権限を握っていました。9世紀の終り頃、桓武天皇(かんむてんのう)の曾孫であった高望王(たかもちおう)が「平氏」を賜り(桓武平氏の祖)、上総介(かずさのすけ)となります。平高望は私営田の開発を進めることによって上総で力を蓄え、関東平氏の礎を築きました。
   平安から鎌倉・室町の時代にかけては、九十九里(くじゅうくり)平野は桓武平氏の一族が支配するところとなります。横芝町屋形は、高望の子・平良兼(たいらのよしかね)の根拠地であったと言われています。
   そして、良兼の子・平将門(たいらのまさかど)が関東一円を手中におさめ、関東独立国家を目指して「新皇」を名乗ります。世に言う「平将門の乱」(939年)です。翌年には鎮圧されますが、この乱の鎮圧をきっかけに武士の地位が上がり、後の源氏・平氏など武門の家柄を生み出すことになったとも言われています。
   一般的には「西の平氏、東の源氏」といったイメージが定着していますが、関東で独立政権を目指そうとした平将門のように、平安後期の関東はむしろ平氏が多く土着していました。一方、新田氏、足利氏、佐竹氏など源氏の勢力もありました。関東の平氏は千葉氏をはじめ源氏に恭順したものも多く、「西の平氏」のイメージは、西国を制覇した平清盛(たいらのきよもり)の存在が生み出したものでしょう。ちなみに、源頼朝(みなもとのよりとも)に始まる源氏政権は3代で滅び、執権として後を受けた北条氏(ほうじょうし)も元は平氏とされています。

 


両総農業水利事業所
国営両総農業水利事業とは?
事業に至る経緯
地域の自然
農と歴史

地域情報

お問合せ先

農村振興部設計課

ダイヤルイン:048-740-0571