さらに詳しく 椿湖の干拓
九十九里(くじゅうくり)平野の北部、干潟町(現旭市)あたりには、「椿海(つばきのうみ)」「椿湖(つばきのみずうみ)」と呼ばれる湖がありました。面積は7,200ha、山手線エリアがすっぽりと入る巨大な湖でした。江戸時代初期にこの湖の干拓が取り沙汰されます。関東流干拓工事で信頼の厚かった伊奈氏(いなし)を派遣して椿海の検分をさせますが、その報告では「椿海干拓は八万石の耕地を造成できるが、椿海を用水源としている九十九里平野の村々は、水田の用水が不足する」という結論から許可には至りません。幕府は周到な調査を行い、下流の村13ヶ村に対して用水の供給量を2割増すという条件のもと、この計画に許可を与えます。 しかし、事業半ば資金を使い果たし工事は未完成のまま中止。幕府は金6千両を資金援助し、ようやく完成させました。こうして苦難の末、椿海の排水を挙行しますが、椿海の水が一挙に流れ出し沿線の村々は大洪水に襲われます。この責任をとって請負奉行は切腹したといいます。
この後、幕府は排水、用水の工事を行います。しかし排水機能は椿海干拓の生死を左右することから、300年間その排水機能を守るために、川への新たな堰の設置は許されなかったといいます。こうして干潟8万石と呼ばれる干拓地ができました。この平野の湖沼干拓の難しさを物語っています。
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