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関東農政局

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さらに詳しく 伊能忠敬と和算の里

  江戸末期の測量家として名高い伊能忠敬(いのうただたか)は、旧片貝町(現九十九里町)、あるいは、横芝町(現横芝光町)の出身とされています。忠敬は佐原(さわら)で酒や醤油の醸造などで財をなし、50歳で隠居して、測量・天文学などを学びました。

  『両総土地改良史』では、「わが房総地方は、和算学上、特殊な発展をなし、伊能忠敬のごとき傑出した偉人を生むに至った(『佐倉市史』)」「特に盛に研究せられたるは、香取、山武の地方を最とし(『房総算学調査資料』)」などを引用して、その和算が発達した要因を、利根川(とねがわ)や干潟新川などの治水工事、椿湖(つばきのみずうみ)や印旛沼(いんばぬま)の干拓工事にあたってその測量に有能な人材を送る必要があったことを挙げています。

  当時の和算は世界の数学者が驚くほどレベルが高く、中期の数学者・関孝和(せきたかかず)は、多元高次方程式、行列式(ぎょうれつしき)、ニュートンの近似解法、ベルヌーイ数の発見、バッボス=ギュルダンの方法といった高度な数学の体系を確立し、天文、暦学等の分野においても高い業績を残しています。またノーベル化学賞を受けたF・ソディは数学者としても有名で「ソディの6球連鎖の定理」なるものを発表していますが、その百年以上前、ある神社に掲げられた算額ですでに記されていたことも分かりました。

  おそらく、『佐倉市史』にもあるように、用水路の建設、治水、干拓といった農業土木の需要が、我が国独自の高度な数学文化を築いてきたものと思われます。

  伊能忠敬が学んだのは江戸でしたが、幼い頃育った土地の風土として和算への素養を身につけたことは想像に難くありません。

 



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