地域の紹介
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湧水
岐阜県西南部に位置する西濃地域は、大垣市他6町にまたがり、北に揖斐山地、西に伊吹山と養老山地を望み、東には肥沃な平野が広がります。
古くから岐阜県は「飛騨の山、美濃の水」という意味で「飛山濃水」の地と呼ばれてきましたが、この地域でも木曽三川のひとつである揖斐川の他、相川、牧田川、杭瀬川、粕川、桂川など多くの河川が流れ、豊かな自然景観を生み出しています。
また、この地域には日本でも有数の自噴帯(じふんたい。自噴とは地下水が自然に湧き出てくること)があり、豊富で良質な地下水を利用するための掘り抜き井戸と呼ばれる自噴の井戸が作られ、地域の中心である大垣市は、市内の各所で湧水が見られるなど、水にかかわる歴史遺産や文化を活かした町作りが認められ、平成7年に「水の郷」として認定されました。
地域北部の自噴帯となる揖斐川沿岸の神戸町、西部の相川沿岸の垂井町、養老山地の急崖にできた扇状地の末端部では、伏流水が湧き出る「河間(がま)」と呼ばれる湧泉や湧水池があり、古くから農業用水や生活用水として利用されてきました。
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湧水池(大垣市曽根城公園内)
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掘り抜き井戸発祥地(大垣市)
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輪中
水の恵みを受ける一方、この地域の歴史は、洪水との闘いとは切っても切り離せない関係にあります。 木曽三川が合流する本地域では、古くから洪水被害に悩まされ、人々は洪水から農地や集落を守るために、周囲に堤防を巡らせた「輪中(わじゅう)」を作ってきました。
また、輪中の中にある集落では、高く石積みした土地の上に母屋を建て、さらにそれよりも高い場所に土蔵などを設けて家財や食料、洪水の際に避難するために用いる舟(上げ舟)などを保管した水屋を建て、非常時に備えました。
また、輪中の南部の低い地域では排水が悪く、収穫に悪影響が出るため、土地の一部を掘って別の場所に積み上げ、そこで稲作を行う「堀田(ほりた)」が作られ、掘った場所は「掘りつぶれ」と呼ばれる水路として、収穫した作物を運ぶために利用していました。
このように、洪水から生活を守るための人々の智恵が西濃地域独特の地域社会を生み出すことになったのです。
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禾森輪中の田舟型堀田(築捨付近) 大垣市Webサイトより写真抜粋
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大垣市に残る水屋
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掘田と掘りつぶれ 大垣市輪中館『輪中』より (河合孝氏 撮影)
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掘りつぶれを行く田舟 大垣市輪中館『輪中』より (河合孝氏 撮影)
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発展の石礎
西濃地域は、東海地方最大級の前方後円墳である昼飯大塚古墳や6基の前方後円墳を始め様々な墳墓が集まる野古墳群など、数多くの古墳が作られました。
また、全国の鉱山、金属業の総本宮として親しまれている、鉱山の神として信仰される金山彦を主祭神とする南宮大社は、崇神天皇の時代に奉還されたと伝えられ、以来美濃国一宮として多くの崇敬をうけてきました。
奈良時代になると、聖武天皇の勅願により現在でも唯一寺跡全体が現存する美濃国分寺が建立され、中世には東大寺領大井荘をはじめとする多くの荘園が成立しました。
これらのことから、古代からこの地域が栄えていたことが分かります。
また、日本のほぼ中央に位置する地域であるため、律令国家時代には畿内と国府を結び、鎌倉時代には鎌倉と京を結ぶ交通の要衝でした。
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昼飯大塚古墳(大垣市) 大垣市Webサイトより写真抜粋
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南宮大社(垂井町) 垂井町Webサイトより写真抜粋
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東西交流の一大拠点
江戸時代になると、江戸と京を結ぶ重要幹線として整備された中山道の宿場として発展し、中でも中山道六十九次の56番目の宿場である赤坂宿は、杭瀬川を利用した船運の拠点でもあり、将軍が京へ向かうための宿泊地としてお茶屋敷が設けられるなど、大いに栄えました。
また、大垣市は戸田藩十万石の城下町であり、中山道と東海道を結ぶ美濃路の宿場町としても栄え、大垣城の外堀であった水門川から揖斐川を経て、桑名、伊勢、三河と結ぶ船運が開かれるや、水運で大いに繁栄しました。
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赤坂宿(大垣市) 大垣市観光協会Webサイトより写真抜粋
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杭瀬川の赤坂港
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全国で唯一残る将軍の休泊施設、お茶屋敷跡 大垣市観光協会Webサイトより写真抜粋
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美濃俳諧の源流
大垣は、俳聖松尾芭蕉が「奥の細道」の旅におけるむすびの地、すなわち、旅を終えた場所としても有名で、「蛤のふたみに別れ行く秋ぞ」と詠み、伊勢の遷宮を拝むために船で桑名へと旅立っていきました。
芭蕉は大垣に谷木因、大垣藩士・近藤如行らの俳友がいたことから、合計4度この地を訪れており、彼の影響でこの地には俳句文化隆盛に大きな影響を与え、美濃俳諧の源流となりました。
他にも、揖斐川町の谷汲山華厳寺は観音霊場を巡る西国三十三カ所巡礼の満願霊場であり、多くの人々が街道を通って盛んに巡礼の旅が行われるなど、西濃地域の歴史は、東西の文化が交流することによって育まれてきたのです。
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水門川の船町港と住吉燈台
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谷汲山華厳寺(垂井町) 垂井町Webサイトより写真抜粋
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「蛤のふたみに別れ行く秋ぞ」松尾芭蕉、奥の細道結びの句 —与謝蕪村筆「奥の細道絵巻」—
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米(れんげのかおり、木曽三川米)
岐阜県の県花でもあるれんげの名前が付いたお米が「れんげのかおり」。
4~5月にれんげと一緒に田を耕し、土にれんげを鋤きこむことで生まれた栄養豊かな土壌が可能にする、化学肥料や農薬の利用を抑えた安全、安心なお米です。
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柿(袋掛け富有柿、早秋、太秋)
岐阜県は全国有数の柿の生産地で、中でも渋みが全く残らない味で「甘柿の王様」とも称される、富有柿の発祥の地として有名です。中でも袋掛け富有柿は、9月頃に袋掛けして樹上で大事に完熟させ、市場に出荷されます。
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いちご(濃姫、美濃娘、とちおとめ)
昭和63年に品種改良で誕生した「濃姫」は、平均果重16グラムという大粒のいちご。
甘みと酸味の絶妙なバランスで、濃厚な味と香りが自慢です。
その濃い味と色から、岐阜県ゆかりの織田信長の正室濃姫に因んで名付けられました。
写真はJAにしみのWebサイトから抜粋
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さといも(大垣里丸)
「大垣里丸」は、「にしみのブランド」にも選定された大垣市で生産されるさといもで、肉質は白くぬめりがある上質のサトイモの中から、形の丸いサトイモにこだわって選別、出荷されています。
写真はJAにしみのWebサイトから抜粋
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美濃国分寺(大垣市)
金堂、講堂、回廊などの規模や配置が確認され、全寺域が完全に残されたものとして全国的に注目を集めている。(国指定史跡)
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奥の細道むすび(大垣市)
松尾芭蕉が奥の細道の旅を終えた地。ここ船町港跡は大垣城水運の拠点であった。(市指定史跡)
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赤坂港跡(大垣市)
大正時代まで水運交通の要衝として栄えたが、現在は跡地に隣接して広場が整備されている。(市指定史跡)
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中山道赤坂宿(大垣市)
中山道六十九次の江戸から数えて57番目の宿場町。本陣跡を整備した本陣公園や、赤坂湊の常夜塔などが残る。毎年11月上旬に、中山道赤坂宿まつりが開催される。(地域的価値
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南宮大社(垂井町)
旧国幣大社で、美濃一の宮として、また広く全国の金属業の総本社として、古くから厚く崇敬されている。
濃尾の祖神が祭られている。(国指定文化財)
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南宮大社 御田植神事(垂井町)
美濃国一宮である南宮大社において、御田植祭が行われる。早乙女と呼ばれる少女21人が田植歌に合わせて、松葉を苗に見立てて植えつける神事である。(国指定重要無形民俗文化財)
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表佐太鼓踊り(垂井町)
江戸時代初期のころ、美濃中山(現南宮山)の水神様に雨乞いをし、願いが叶ったお礼に太鼓、鉦鼓を鳴らして感謝したのが起こりである。(県指定無形民俗文化財)
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美濃国府跡(垂井町)
大化改新(645年)によって全国に国府が作られ、美濃では府中地区一帯にあったといわれている。(県指定史跡)
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マンボ(垂井町)
垂井扇状地には、「マンボ」と呼ばれる特殊な農業用水施設がある。マンボとは地下水を集めて導水する暗渠で、かつて、垂井では113本あったとされ、現在では洗い場や水田のかんがい用に利用されている。(地域的価値)
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両界山横蔵寺(揖斐川町)
平安時代(801年)に伝教大師最澄が創建したと伝えられる寺。22体の国宝が安置され、多くの絵画、書籍を蔵していることから"美濃の正倉院"と呼ばれている。(国指定重要文化財)
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野古墳群(大野町)
大野町内には、200基をこえる古墳があちこちに点在していますが、その中でも野の集落西にある九基の前方後円墳と円墳は、国の重要文化財になっている。(ぎふ水と緑の環境百選・国指定重要文化財)
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昼飯大塚古墳(大垣市)
標高25mの牧野台地上に立地する東海地方最大級の前方後円墳である。築造は古墳時代前期末頃と考えられる。平成10年度に岐阜県の史跡に指定されている。(国史跡)
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お問合せ先
農村振興部設計課
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