安積疏水を開削したファン・ドールン
オランダ国
1837年(天保8年)~1906年(明治39年)
生い立ち
コルネリス・ヨハンネス・ファン・ドールンは、1837年オランダのハルにおいて牧師の家に誕生し、1860年技師の資格を得て、1872年2月、日本政府の招聘に応じて来日し、土木局長工師に任命された。 1880年2月に辞職し、同年5月、勳四等旭日小綬章を授章しオランダヘ帰国後、1906年アムステルダムにおいて永眠、69歳。 |
ファン・ドールン |
地区概要
福島県の中央に位置する安積郡(現在の郡山市西部)は、水の便が悪く広大な不毛の原野だった。1873年(明治6年)、福島県と、当時の郡山の商家が結成した開成社により開拓が始まった。県は、旧二本松藩士の授産と養蚕による振興を目的とした、桑畑の造成を、開成社は、米の増産を目的とした、ため池を築造と水田の造成を行った。この開拓により、1876年(明治9年)までに水田76ha、畑140ha、ため池54ha、宅地25ha、道路23haが造成され、桑野村が誕生した。
これを受けて、国による全国9藩士族の授産、食糧増産による富国強兵を目的とした安積開拓が、入植500戸、水田開墾面積1,000haで計画された。この計画を成功させるためには、大量の灌漑用水が必要不可欠であったことから、会津及び新潟へ流れている猪苗代湖の水を郡山方面へ東注するため、奥羽山脈を貫き新田・旧田併せて3,000haの用水を確保するための工事が行われた。これが猪苗代湖疏水開削工事である。
ファン・ドールンの実績
1878年(明治11年)5月、猪苗代湖水の唯一の出口である戸の口十六橋に水位計を設置し、既設利用の必要水量を10月まで測定。湖水の出口である日橋川を2尺(60cm)掘り下げ、水門を設置して97cmの利用水深を可能とした。この十六橋水門の完成により、東西の流量調整が可能となり、水害防止を図り、対岸からの安積への取水が可能となった。
1879年(明治12年)1月、猪苗代湖疏水開削工事の設計復命書を土木局長へ提出し、同年10月28日、十六橋水門から工事が始まった。この工事は、約3年間の工期と85万人もの動員により、366mに亘る水路が完成した。ドールンが、疏水開削工事が可能であることを復命しなければ、この事業は起業できず、明治初期には人口僅か5千人の寒村であった郡山が、125年の間に、人口34万人の中核市になることはなかったであろう。
ドールンは「治水総論」で治水の原則を教え、我が国土木事業の基礎をなしたといわれている。
また、その業績は、安積のみに留まらず、1872年(明治5年)4月、利根川に日本で最初の量水標を設置し、河川の渇水や洪水流量を測り、設計の資料とした。利根川、淀川、信濃川などの改修をはじめ、野蒜(のびる)港、函館港など数多くの港湾建設にも携わっている。彼は、経験だけに頼っていた我が国の技術に西欧の科学的手法を取り入れ、近代土木の道を開いた偉人と言える。更に、外国からの輸入品に頼らず国産のものを可能な限り用い、我が国の官吏を指導し、優秀な技術者となるよう人材育成に努めた業績も高く評価されている。
十六橋水門
当初、ドールンが十三門の公道兼用木橋で設計したが、水量データーに雪解け水量が含まれていなかったため、山田寅吉の実施設計により、1880年(明治13年)10月に完成した(十六門すべてが堅牢なアーチ型の公道を兼ねた石造りの水門)。
その後、1914年(大正3年)には、公道橋と水門が分離され、水門は電動化された。
また、2005年(平成17年)、河川管理者である福島県の改修工事が完成した。改修にあたっては、十六橋水門のもつ歴史的背景や土木遺産であることから、既存水門の外観を変えずに補修・補強し、新築と同等以上の治水機能を持たせ、遠方操作も可能となっている(現在は福島県が管理)。
戸ノ口十六橋(明治15年) |
現在の十六橋門 |
ファン・ドールンの銅像
十六橋水門を眼下に見つめてドールンの銅像が威風堂々と建っている。 この銅像は、1931年(昭和6年)10月、猪苗代水力電気株式会社の創設者である工学博士の千石貢氏の提唱により建立された。 第二次世界大戦で日本の敗戦が色濃くなった1944年(昭和19年)、軍部は軍需産業の資源として金属類の強制供出命令を発し、一般家庭・寺社仏閣などから戦力増強のため徹底した回収を行った。敵対国人であるドールンの銅像も当然その対象になり撤去される日は刻々とせまっていた。時の安積疏水常設委員渡辺信任は、非国民と罵られても安積疏水の恩人を戦場へ送ることはできず、付近の農家から人夫を集め銅像を山に埋め隠し、それぞれにいくらかの金を渡しきつく口止めして、自分は憲兵隊による度重なる追及にも「知らぬ存ぜぬ」で通したそうである。やがて終戦となり、2年前に埋めた銅像を苦労して探し当て、元の台座へ取り付けましたが、足は台座から外すときに壊したのでセメントで固めてある。 ドールンの銅像は、日本三大疏水の一つに数えられ全国の市町村で米生産量第2位(郡山市)を誇る郡山地域の発展を、今でも見守っている。 |
ファン・ドールン銅像 |
参考文献
『安積疏水百年史』 安積疏水土地改良区 昭和57年
『みずのみち安積疏水と郡山の発展』 根本博 平成14年
交通アクセス
磐越道猪苗代インターから国道49号線会津若松方面へ車で15分
本記事は、「農村振興第692号」(全国農村振興技術連盟)に掲載された「安積疏水土地改良区 遠藤正一 氏」の記事を転載したものである。
参考情報
- 参考文献:うつくしま電子辞典(福島県教育委員会)[外部リンク]、安積疏水百年史(安積疏水土地改良区)
- 史蹟:ファン・ドールンの銅像―十六橋水門(河東町)
- 関連ホームページ:安積疏水土地改良区[外部リンク]
お問合せ先
農村振興局整備部設計課
代表:03-3502-8111(内線5561)
ダイヤルイン:03-3595-6338