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兵庫県 淡河川・山田川疏水の祖 魚住完治

私財を投じて疏水建設に貢献

兵庫県稲美町
1828年(文政11年)~1899年(明治32年)

筆跡
魚住完治の筆跡

御坂サイホン
 御坂サイホン
我が国初の本格的サイホン
(鉄管は英国で製造)

いなみ野台地は雨が少ないため、江戸時代には綿の栽培がさかんでした。しかし、明治になり、開港と共に海外から良質の綿がどんどん入ってきたため、綿の栽培を続けることはできなくなってきました。

また、江戸時代の末期から明治時代の初めにかけて、度重なる干ばつが当地域を襲い農家は困窮していました。

これをみかねた野寺村総代の魚住完治は、いなみの台地に何とか水を引けないものだろうかと、私財をなげうち山田川からの疏水を造るために測量を行いました。測量の結果、水を引くことができることが判明し、1878年(明治11年)に疏水の堀割を県に願い出ました。

県や国の援助のもとに、「山田川疏水」の詳細な調査を行いましたが、地盤が悪く、工事費が高くなるため、 淡河川から取水することとし、1888年(明治21年)に工事にかかり、3年後に完成させました。工事が始まると、完治は指導監督に当たり、疏水の完成に大きく貢献しました。これにより、710ヘクタールが水田化されました。

「淡河川疏水」の成功により、開田が増え、水不足となったため、当初完治が計画した山田川疏水にも1911年(明治44年)に工事着手し、4年後に完成しました。これにより848ヘクタールが水田化されました。

なお、この両疎水からの水量は、当時淡河川が570万トン、山田川が1000万トンであったとの記録が残っています。

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農村振興局整備部設計課 
ダイヤルイン:03-3502-6204
FAX:03-5511-8251

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