ホーム > 組織・政策 > 農村振興 > 水土里電子博物館 > 土地改良偉人伝~水土里を拓いた人びと~ > 長野県 諏訪地方の繰越堰を拓いた坂本養川
長野県茅野市ほか
1736年(元文元年)~1809年(文化6年)
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諏訪の山浦地方といえば、八ヶ岳西麓の茅野市、原村、富士見町辺りを指す地名です。かつて神野と呼ばれ、諏訪神の御狩場として鍬を入れることも、人が入ることも許されなかった地です。中世以降、集落ができ、近世には高島藩主諏訪頼水の下で多くの新田開発が行われましたが、水不足から畑作が主で、荒野も多かったのです。
この様な状況下で、養川は殖産興業をもくろみ、近畿や関東地方を歴訪し、各地の水利や開拓地の実情を調査しました。帰郷後、約2年をかけ、山浦地方の地理を調べ、測量も行いました。そして、当地では比較的水量が多い滝之湯川、渋川などの余水を、順々に南の水不足地帯へ送って複数の河川を用水路で結び、その沿岸をかんがいする「繰越堰」という形態の水路の開削が最適との結論に達したのです。
1775年(安永4年)、高島藩に用水開発を請願しましたが採用されず、その後、何度かの上申の末、1785年(天明5年)、最初の出願以来11年かかってその計画は陽の目をみました。繰越堰として最初の堰となる「滝之湯堰」の開削が行われたのです。以後1800年(寛政12年)までの間に15の堰が開かれまし た。
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