ホーム > 組織・政策 > 農村振興 > 水土里電子博物館 > 土地改良偉人伝~水土里を拓いた人びと~ > 長崎県 今も残る深澤儀太夫勝清の贈り物
長崎県大村市
1584年(天正12年)~1663年(寛文3年)
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深澤儀太夫勝清は、肥前国(佐賀県・長崎県)でくじらとりをはじめた人といわれています。 1584年佐賀県の武雄に生まれ、のちに波佐見にうつり、30歳のころにたびに出て、くじらをとる方法を学んで帰ってきました。
九州のまわりの海はくじらがたくさんとれ、儀太夫はまたたくまに大金持ちになりましたが、自分は少しもぜいたくをしませんでした。くじらをとってえたお金で、お寺を新築したり、修繕したりしました。また、藩の軍用金や建築資金としてもさし出しました。村には、公用旅館や新田、数多くのため池を造って寄付し、多くの人々の利益と幸福のために使いました。その中で最も有名なのが、野岳湖をつくったことです。
そのころの野岳村は、雨がふれば川があふれ、日でりがつづけばすぐ田の水がなくなっていたので、大きな堤をつくればその心配がなくなると思い、堤をつくり村人たちを救おうと決心しました。
工事は1661年8月からはじめられ、村人たちもみんなよろこんで作業にくわわりました。『くわ』でほり、『もっこ』で運び、石を『や』でわり、土は塩をまぜてたたいてかため、丈夫なうえにも丈夫にと造りあげていきました。そして、1年7か月後の1663年3月3日、4,200両余り(今のお金にしたら数十億円にもなる)をかけてやっとできあがり、周囲4キロメートルの堤には、ゆたかな水が満々とたたえられました。
儀太夫の行いは、多くの人に語り継がれ、感謝祭も行われています。
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