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農林水産省

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米沢上杉藩の水を拓いた上杉鷹山

田んぼと財政を潤した一大土木事業

山形県米沢市
1751年(宝暦6年)~1822年(文政5年)

鷹山
上杉鷹山

黒井堰
一部現存する黒井堰

江戸時代、米沢上杉藩は戦の処分などで幕府から領土を減らされ、藩の財政は厳しく村人の生活も大変困っていました。

上杉鷹山は17才で藩主となり、この厳しい藩の財政を立て直し、人々が豊かになるための色んな事業に取り組みました。領土を増やして財政を豊かにするために、新しく田んぼを作ったり、そこに水を引くための水路やため池をたくさん作りました。

 しかし、晴れの日が続くと水不足でお米がまったく出来ないことがしばしばありました。鷹山は心を痛め、貧しく困っている村人を救うことが出来ないものかと考え、その時の奉行・黒井半四郎忠寄に調査を命令して、用水事業にとりかかりました。

藩と村人が一体となった一大土木事業として“黒井堰”と“穴堰”という水路を作り、米沢盆地北部の水不足を解消して現在の農業の基礎を作りました。

他にも新しい産業を起こしたり、教育にも取り組み、72才で亡くなる頃は、藩の借金をほとんど返し、農村の復興をはたしました。アメリカの35代大統領のケネディが最も尊敬する日本人として上杉鷹山の名前をあげたエピソードは有名です。

上杉鷹山が残した言葉
“なせばなる、なさねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり。

 

参考情報

  • 参考文献:黒井堰史 …米沢平野土地改良区

 

担当

山形県 農林水産部 農村計画課
TEL:023-630-2490
FAX:023-630-2509

 

お問合せ先

農村振興局整備部設計課

代表:03-3502-8111(内線5561)
ダイヤルイン:03-3559-6338
FAX:03-5511-8251